もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/松平輝高-竹内式部と上州絹一揆-

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いわしってえのはな奈穂子サン、煮付けにして梅肉を添えるとうめえんだわ。梅肉だけにな。

躑躅ですかい?

躑躅見ながら団子を頬張るってえのもいいなあ。

この山躑躅、高崎に咲いているんですかい。

高崎ってえのは館林に近いってこともあって、そこそこのお大名じゃなきゃ藩主にゃなれなかった。かつてはあの間部詮房様が藩主になったこともあった。

で、間部のダンナのずっとあとに松平輝高様が高崎藩主におなりなすった。

輝高様は首席老中(総理大臣)だ。

輝高様が京都所司代だった頃、竹内式部ってえ学者が騒動を起こした。

竹内式部徳大寺公城ってえお公家さんのお抱え学者だった。徳大寺様は桃園天皇の側近よ。

徳大寺様と、徳大寺様といっつもツルんでやがるお公家さんたち10人ばかしがな、おかしなことを企んだんだ。

徳大寺様たちは五摂家が朝廷を仕切ってるのが気に入らなかった。だから、徳大寺様は式部のヤツを使って「五摂家が朝廷をダメにするのです」って桃園天皇に吹き込みやがった。

桃園天皇もまた式部のヤツに吹き込まれるうちにそんな気持ちになっちまって、「五摂家はいらん。天皇親政だ」とかって言い出しちまった。

こうなると五摂家の面々も黙っちゃいねえ。関白・一条道香殿下が所司代屋敷の輝高様に訴え出た。「徳大寺と竹内式部がよからぬことを帝に吹き込んでる」ってな。

最初は輝高様も介入するつもりは無かったんだ。ところがだ、奈穂子サン。関白殿下は輝高様にとんでもねえことを告げ口しやがった。「竹内式部は帝に討幕を勧めてる」ってな。

ここに至って輝高様は徳大寺様とそのお仲間、そして式部のヤツをとっ捕まえて処分した。ま、大火事を小火のうちに消したんだ。さすがだぜ。

で、輝高様は江戸に戻って首席老中におなりなすった。

輝高様が首席老中になって取りかかったのが幕府の収入を増やす政策よ。

上州は質のいい絹の産地でな。この絹に運上かけよう(課税しよう)って話になった。そしたら西上野の絹百姓が清助ってえヤツを旗頭に一揆を起こしちまった。その一揆の連中がだ奈穂子サン、高崎城を囲んじまったってんだからそりゃあもう大騒ぎよ。

まさかてめえの城が一揆の連中に囲まれるなんて思っちゃいねえ。あんまりの「しょっく」に輝高様は心の臓がケイレン起こしちまってそのままぽっくりよ。

ま、一揆の連中は高崎城の城兵に追っ払われたが輝高様はぽっくり逝っちまった。

このあとは松平康福様が首席老中になったってえワケだ。

ん?

どうしたい、奈穂子サン?

田沼意次は?」

じゃ、ちょこっとだけな。

田沼のダンナは嫉妬・やっかみってヤツをよく知っていなすった。

だから、てめえはヒラ老中のまんまで輝高様や康福様を立てたんだ。

いわしは刺身にしてしょうが醤油で食ってもイケるんだぜ。

奈穂子サン、また。