もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/生類憐れみの令

f:id:Hanzoandmozu:20191208062053j:plain

寒かろうが何だろうが、鰻はやめられねえんだ。

鰻食えなくなったときがオレの死ぬときだ。

で、今日はこの鰻の話だ。

綱吉公のときに、オレたちは鰻を取り上げられた。こいつァ奈穂子サンもよォくご存知の「生類憐れみの令」ってヤツよ。

何かあるとすぐに「切腹しろ!」って喚き散らすくせに、何が「生類を憐れむ」って言うんだ。ったく、トンチキ公方様だぜ。

この「生類憐れみの令」なんだがな、こいつァ世間一般に綱吉公にお世継ぎが生まれるようにってえ「おまじない」だって言われてるんだがな、弥七の話だとどうも違うらしいんだ。

弥七が言うにはな奈穂子サン、「生類憐れみの令」はオレたち庶民に野菜を食わせるためだって言うんだよ。余計なお世話ってもんだ。

で、何で綱吉公がオレたちに「野菜食え」って言ったかっていうと、それが綱吉公なりの「親孝行」だったのよ。

綱吉公のおっ母あの桂昌院様はな、もとは京の八百屋の娘でおたまって名前だった。このおたまが御台所様(鷹司信子)に付いて大奥に入り、家光公のお手が付いて綱吉公を生んだのよ。

綱吉公は奈穂子サンの時代でいう「まざこん」ってえヤツでな。この「まざこん」ぶりが昂じて八百屋贔屓となり、やがては「野菜だけ食ってろ」となったってえワケだ。

そりゃ、迷惑な話だ。

猪も鶏も魚も食っちゃならねえ。ひでえトンチキな御法度(法律)だ。「頭が狂いやがったのか」とさえ思ったぜ。からだにはいいかも知れねえがな。

オレたちは結局、綱吉公が死ぬまでこの馬鹿げた「親孝行」に付き合わされたのよ。腹を立てたのはオレたちだけじゃ無えぜ。水戸のジイサンもえれえ腹立ててな。

水戸のジイサンは奈穂子サンの時代でいう「ぐるめ」だった。そりゃあもう耐えられねえわな、野菜しか食えねえなんて。そこで水戸のジイサンは「もどき料理」を思いついた。歯ごたえやら舌触りやらを猪や鶏や魚に似せる豆腐料理でな。こいつは「精進料理」とはちょいと違うんだがな、水戸のジイサンのささやかな抵抗よ。

それでも「ぐるめジジイ」の水戸のジイサンは納得いかなかったんだろうな。ジイサンは助の字格の字に野良犬狩りをやらせてな。斬った野良犬を柳沢美濃守様(吉保)の屋敷の庭に放り投げた。ジイサンあとでバカ笑いだ。「スッキリしたぜ」ってな。

ただな奈穂子サン、綱吉公が「まざこん」になるには理由があった。綱吉公は奈穂子サンの時代でいう「みじゅくじ」で生まれた。家光公も綱吉公の成長は諦めてた。が、それが成長してついには五代様におなりなすった。綱吉公はおっ母あへの恩を忘れなかったんだなあ。

親孝行は大いに結構だが、野菜しか食えねえ親孝行は勘弁してくれ。

奈穂子サン、また。