もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/本能寺のはなし

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かあーっ!うめえっ!!

菜の花を天麩羅になんざ、さすがは水戸のジイサンだぜ!

菜の花はからし和えだとばっかり思ってたからな。こいつは一本取られたぜ。

本能寺、ですかい?

奈穂子サン、意地悪言っちゃいけねえや。

オレァお江戸の話はするが、下剋上の話なんざしねえぜ。

でもまあ奈穂子サンが聴きてえってんならな。オレァ水戸のジイサンのとこに行ってみっちり「お勉強」よ。

奈穂子サンが知りてえのは、明智のオッサンがどのへんで謀反を決心したかってえトコだろう?水戸のジイサンは、「『ぽいんと』は2ヶ所だ」って言ってたな。

まず1つ目は天目山だ。

奈穂子サンも知っての通り、天目山の戦いで武田勝頼と武田家はきれいさっぱり滅亡した。だがな奈穂子サン、長篠合戦から天目山の戦いまで、実に7年もかかってるんだ。違う言い方をすれば、7年越しでようやく武田を片付けたんだ。

勝頼の首を前にして、信長公は陣中で祝いの宴を催した。信長公は気分良くほろ酔いでな、「これで我等ようやく枕を高うして眠れるわ」って言った。そしたらな奈穂子サン、明智のオッサンが「我等日頃より骨折った甲斐がありました」って言っちまった。

この一言に信長公はカチンと来た。「てめえがどこで武田攻めに骨折ったんだ!」って怒鳴ってな、そンでみんなの見てる前で殴る蹴るの折檻よ。

「ぷらいど」の高い明智のオッサンだ。謀反を思いついたのは恐らくここだろう。が、まだここでは頭の片隅に思っただけだ。

決定打になったのはな、本能寺のひと月前くらいだったな、織田家の家老の佐久間信盛ってえオッサンがいてな。この佐久間のオッサンを信長公は追放した。奈穂子サンの時代でいう「りすとら」ってえヤツだ。

この「りすとら」がいけなかった。信長公は佐久間のオッサンの領地も財産も全部没収しちまった。さらには「19箇条の折檻状」ってえ「解雇通知」まで出した。

この「解雇通知」には25年前の罪まで蒸し返して書かれててな。さすがに他の織田家の家臣もウンザリした。

25年前の罪を蒸し返して財産を全て奪う。文字通り「恐怖のりすとら」だわな。これで明智のオッサンも決心した。「25年前の罪が問われるなら、オレの天目山の一件もきっと罪に問われる」明智のオッサンがそう思ったとしても、無理はねえよ。

水戸のジイサン言ってたぜ。「信長公は佐久間信盛から全てを奪うべきではなかった」ってな。

ま、アレだ。

信長公は天才だったが、人の気持ちまでは読み切れなかったってことだな。

菜の花の天麩羅、奈穂子サンにもオススメだぜ。

奈穂子サン、また。