もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/四十八人目-毛利小平太のこと-

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今日は板わさに熱燗よ。大根が続いたからな。

奈穂子サンの時代のかまぼこはお手軽な食い物なんだろうが、オレたちの時代のかまぼこはお御馳走よ。

奈穂子サン、毛利小平太ってえ旦那のこと、知ってるかい?

本来、赤穂浪士はこの小平太の旦那を入れて「四十八士」だった。

ところがだ、小平太の旦那は討ち入りの直前になって姿を消した。江戸にいたのがはっきりとしてるのが12月11日までだ。だから、12月14日の夜中までの間に姿を消したことになる。

実はな奈穂子サン、吉良のジイサンは米沢に逃げちまうんじゃねえかって、大石様は見てた。「12月の14日は間違いなく在宅する」確かな筋から聞いた話だから、大石様はそれに合わせて討ち入りしなすった。が、最後まで大石様の気持ちから不安が消えねえ。

「万が一、米沢に逃げられてもいいように」大石様は「第二陣」を用意した。その「第二陣」が小平太の旦那よ。

大石様は小平太の旦那に「おまえは第二陣として備えよ」って言った。だがな、小平太の旦那は納得しねえ。「オレも吉良邸に討ち入るんだ」ってな。

大石様は洗いざらい胸の内を喋った。「万が一、米沢に逃げられていたときに第二陣がいないと、我等は犬死にになってしまう」って、小平太の旦那にありのまんまを言った。そんで小平太の旦那は「承知しました」って江戸から姿を消した。

どこに身を伏せたのかはわからねえ。ただ、はっきり言えることは、東北へ続く街道沿いに潜んでたんだろうってことだけだ。

大石様は12月15日の夜明けに吉良のジイサンを討ち取った。オロク(遺体)を改めたら、背中の傷は消えていたがおでこの傷は残ってた。

「こいつは本物だ」そう判断した大石様は寺坂吉右衛門の旦那を小平太の旦那のもとに差し向けた。だから、大目付の仙石様に出頭したのは一人少ねえ四十六人だったのよ。

寺坂の旦那はのちに広島藩に召し抱えられた。

で、肝心の小平太の旦那なんだがな。どこに消えちまったのか、誰にもわからねえんだ。

小平太の旦那の兄貴は大垣藩に仕えてた。だから大垣で兄貴に食わせてもらってそこで死んだんじゃねえのかって、オレは見ている。

出る幕の無かった「第二陣」。小平太の旦那はどんな気持ちだったのかなって、オレァ思う。

忠臣蔵の話だったからな、あとで天ぷらそばでも食うか。かまぼこを薬味にしてな。

おっと奈穂子サン、かまぼこは朝鮮通信使接待の料理の立派な「めにゅう」だったんだぜ。

奈穂子サン、また。