もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

城ネタ2012

姫路城

【2012年6月6日】 寛保2年3月。 貧乏大名で有名な松平明矩が陸奥白河から播磨姫路へ国替となった。 持高は陸奥白河同様15万石。しかし、明矩の結城松平家は貧乏大名で知られていて、今回の播磨姫路への国替に際しても姫路行きの費用が捻出出来ない…

姫路城

【2012年6月6日】 寛保2年3月。 貧乏大名で有名な松平明矩が陸奥白河から播磨姫路へ国替となった。 持高は陸奥白河同様15万石。しかし、明矩の結城松平家は貧乏大名で知られていて、今回の播磨姫路への国替に際しても姫路行きの費用が捻出出来ない…

和歌山城

【2012年6月8日】 安藤直次。 初代紀伊田辺藩主で、和歌山藩主・徳川頼宣の付家老だ。 いえやっサンの家臣には口の悪いガラッパチが数人いて、この安藤直次とのちの初代備後福山藩主・水野勝成がその代表だった。 この、口の悪いガラッパチが生涯に二…

和歌山城

【2012年6月8日】 安藤直次。 初代紀伊田辺藩主で、和歌山藩主・徳川頼宣の付家老だ。 いえやっサンの家臣には口の悪いガラッパチが数人いて、この安藤直次とのちの初代備後福山藩主・水野勝成がその代表だった。 この、口の悪いガラッパチが生涯に二…

大阪城公園(大坂城)

【2012年6月14日】 「石田治部少輔め、なんちゅうことを…」 慶長5年の夏の暑い盛りの日、大坂城京橋口に晒された首を見て怒りに震える男が一人いた。 その男、名をば佐野四郎右衛門という。 京の呉服屋の主人で、早くから徳川贔屓だった。 四郎右衛…

大阪城公園(大坂城)

【2012年6月14日】 「石田治部少輔め、なんちゅうことを…」 慶長5年の夏の暑い盛りの日、大坂城京橋口に晒された首を見て怒りに震える男が一人いた。 その男、名をば佐野四郎右衛門という。 京の呉服屋の主人で、早くから徳川贔屓だった。 四郎右衛…

松山城

【2012年6月15日】 中村勘助正辰。 赤穂藩書物役、家禄100石。 この男もまた、浅野長矩の刃傷事件のためにその後の人生が決定してしまった一人だ。 もとは陸奥白河藩士・三田村小太夫の息子で、播磨赤穂藩士・中村庄助の婿養子となり中村家を継い…

松山城

【2012年6月15日】 中村勘助正辰。 赤穂藩書物役、家禄100石。 この男もまた、浅野長矩の刃傷事件のためにその後の人生が決定してしまった一人だ。 もとは陸奥白河藩士・三田村小太夫の息子で、播磨赤穂藩士・中村庄助の婿養子となり中村家を継い…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2012年6月28日】 保科正之が会津藩主に就任したときに真っ先に実行したのが 残虐な刑罰の禁止 だった。 現代ではこれが当たり前なのだが、この当時は残虐な刑罰が行われていた。 会津藩の場合は、秀吉の「奥州仕置」のあと会津若松に入封した蒲生氏…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2012年6月28日】 保科正之が会津藩主に就任したときに真っ先に実行したのが 残虐な刑罰の禁止 だった。 現代ではこれが当たり前なのだが、この当時は残虐な刑罰が行われていた。 会津藩の場合は、秀吉の「奥州仕置」のあと会津若松に入封した蒲生氏…

熊本城

【2012年6月29日】 慶長16年6月24日。 肥後熊本藩主・加藤清正死去。 享年50。 そして、清正の死後、ある一人の男性が殉死した。 その者、名をば 良甫鑑(リャン・ポカム) という。 名前からわかるように、朝鮮人である。 彼はもともと文禄の…

熊本城

【2012年6月29日】 慶長16年6月24日。 肥後熊本藩主・加藤清正死去。 享年50。 そして、清正の死後、ある一人の男性が殉死した。 その者、名をば 良甫鑑(リャン・ポカム) という。 名前からわかるように、朝鮮人である。 彼はもともと文禄の…

松山城

【2012年7月3日】 1640年(日本の寛永17年)、ポルトガル、スペインから独立。 1643年(日本の寛永20年)、ポルトガルで新王即位。 ポルトガル王、日本との通商再開を求めて使節を日本に派遣することを決める。 1645年(日本の正保2…

松山城

【2012年7月3日】 1640年(日本の寛永17年)、ポルトガル、スペインから独立。 1643年(日本の寛永20年)、ポルトガルで新王即位。 ポルトガル王、日本との通商再開を求めて使節を日本に派遣することを決める。 1645年(日本の正保2…

彦根城

【2012年8月2日】 井伊掃部頭直通。 近江彦根藩5代目の藩主である。 直通と同時代に紀州藩主・徳川吉宗がいるためその存在が霞みがちだが、吉宗に劣らない名君だ。 直通は井伊家の八男だった。 八男なので当然家を継ぐ立場には無い。 それは部屋住み…

彦根城

【2012年8月2日】 井伊掃部頭直通。 近江彦根藩5代目の藩主である。 直通と同時代に紀州藩主・徳川吉宗がいるためその存在が霞みがちだが、吉宗に劣らない名君だ。 直通は井伊家の八男だった。 八男なので当然家を継ぐ立場には無い。 それは部屋住み…

千秋公園(秋田城)

【2012年8月27日】 佐竹右京大夫義堯。 出羽久保田(秋田)20万5800石の国持大名だ。 この国持大名に、三度目の結婚話が持ち上がる。 お相手は丹波篠山藩主・青山忠良の娘で、こちらは初婚だった。 篠山藩青山家は譜代大名の名家で、国持大名の…

千秋公園(秋田城)

【2012年8月27日】 佐竹右京大夫義堯。 出羽久保田(秋田)20万5800石の国持大名だ。 この国持大名に、三度目の結婚話が持ち上がる。 お相手は丹波篠山藩主・青山忠良の娘で、こちらは初婚だった。 篠山藩青山家は譜代大名の名家で、国持大名の…

松本城

【2012年8月28日】 流離貴族。 流浪する貴族のことで、室町時代後半にはこれが多く発生した。 小笠原長時。 信濃松本藩主・小笠原秀政の祖父だ。 小笠原家は信濃国守護で、鎌倉時代から続く由緒正しき家柄だ。作法の「小笠原流」はこの家から発祥して…

松本城

【2012年8月28日】 流離貴族。 流浪する貴族のことで、室町時代後半にはこれが多く発生した。 小笠原長時。 信濃松本藩主・小笠原秀政の祖父だ。 小笠原家は信濃国守護で、鎌倉時代から続く由緒正しき家柄だ。作法の「小笠原流」はこの家から発祥して…

佐賀城

【2012年9月6日】 「また、カネのかかることを…」 肥前佐賀藩主・鍋島斉直は頭を抱え、「いい加減にしろよ」とたまりかねて口にした。 文政2年。 この年、幕府から鍋島斉直に 「上様(家斉将軍)の姫君・盛姫様と鍋島家の嫡男・貞丸どのの婚儀を申し…

佐賀城

【2012年9月6日】 「また、カネのかかることを…」 肥前佐賀藩主・鍋島斉直は頭を抱え、「いい加減にしろよ」とたまりかねて口にした。 文政2年。 この年、幕府から鍋島斉直に 「上様(家斉将軍)の姫君・盛姫様と鍋島家の嫡男・貞丸どのの婚儀を申し…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月13日】 ある日の夜、秀吉は側近数名を集めて雑談をした。 その雑談の中で秀吉は 「オレが死んだあと、天下人になるのは誰だと思う?」 と側近たちに質問した。 側近たちはいえやっサン、前田利家、上杉景勝、毛利輝元…と大封の大名の名前…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月13日】 ある日の夜、秀吉は側近数名を集めて雑談をした。 その雑談の中で秀吉は 「オレが死んだあと、天下人になるのは誰だと思う?」 と側近たちに質問した。 側近たちはいえやっサン、前田利家、上杉景勝、毛利輝元…と大封の大名の名前…

岡山城

【2012年9月19日】 伊木忠澄。 備前岡山藩筆頭家老である。 忠澄は、同じく備前岡山藩家老・土倉家に生まれた。 側室が生んだ三男坊。そのため、初め彼は菅 助作と名乗った。土倉家では庶子は菅姓を名乗らせるためだ。 天保4年。 助作は岡山藩筆頭家…

岡山城

【2012年9月19日】 伊木忠澄。 備前岡山藩筆頭家老である。 忠澄は、同じく備前岡山藩家老・土倉家に生まれた。 側室が生んだ三男坊。そのため、初め彼は菅 助作と名乗った。土倉家では庶子は菅姓を名乗らせるためだ。 天保4年。 助作は岡山藩筆頭家…

松本城

【2012年9月24日】 元信濃松本藩士・伊藤伊左治。 飯田屋飴店の基礎を築いた人物である。 彼は何故、飴屋になったのだろう? 享保10年7月28日。 この日、伊藤伊左治をはじめとする松本藩士たちの人生を狂わせる大事件が発生する。 松本藩主・水…

松本城

【2012年9月24日】 元信濃松本藩士・伊藤伊左治。 飯田屋飴店の基礎を築いた人物である。 彼は何故、飴屋になったのだろう? 享保10年7月28日。 この日、伊藤伊左治をはじめとする松本藩士たちの人生を狂わせる大事件が発生する。 松本藩主・水…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月27日】 天正15年。 秀吉が諸将を招いて大坂城で茶会を開いたときのことだ。 参加者の一人、大谷刑部少輔吉継が点てられた茶を飲もうとした瞬間、顔から膿が茶に落ちた。 騒然となる茶会。 しかし、そこへ石田三成が進み出て吉継の顔の膿…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月27日】 天正15年。 秀吉が諸将を招いて大坂城で茶会を開いたときのことだ。 参加者の一人、大谷刑部少輔吉継が点てられた茶を飲もうとした瞬間、顔から膿が茶に落ちた。 騒然となる茶会。 しかし、そこへ石田三成が進み出て吉継の顔の膿…