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彦根城

【2012年8月2日】

井伊掃部頭直通。
近江彦根藩5代目の藩主である。
直通と同時代に紀州藩主・徳川吉宗がいるためその存在が霞みがちだが、吉宗に劣らない名君だ。



直通は井伊家の八男だった。
八男なので当然家を継ぐ立場には無い。
それは部屋住みとして死ぬか、どっか余所の家へ養子に行くかのどちらかしか無いのである。

しかし、上の兄たちが相次いでバタバタと病死した。
直通には33人の兄弟姉妹がいたが、その大半が夭折だった。それが大名家であれ庶民の家であれ、いかに小児が無事成長するのが難しい環境だったかがわかる。
「子供は宝」
この言葉は、決して冗談から生まれたものではないのだ。



直通は13歳で彦根藩主に就任した。
藩主に就任すると、家臣の中から家禄(石高)の高い者を選んで土木作業をやらせた。
当然、家臣たちから不満の声が出た。

それを聞いた直通は



「本来、家禄というものは戦場での槍働きに対して与えるもので、今のおまえたちのように生まれついてもらえるものでは無いのだ。が、今は太平の世でいくさなどは無いから、槍働きの代わりに土木作業をさせておるのだ。本来、家禄とは己自身で働いて得るものだとわかるようにな」



と家臣たちに言った。
「今ある地位にあぐらをかくなよ」
直通はそう言いたいのだ。



直通が藩主に就任してしばらくして、ある藩士が不注意から井伊家の家宝である壺を割ってしまった。
当時の常識ならば当たり前のように切腹させる。なので、この藩士の上司が切腹を申し付けようとした。

そこへ、直通がやって来て



「形ある物はいつかは壊れるのだ。割れた壺と人のいのちを秤にかけてどうする?」



と、上司の者を叱り、その藩士に対しては直々に「不問にする。以後、気をつけろ」と言って収めてしまった。

これと似た話が紀州藩にもあって、酒に酔った宿直の藩士が誤って紀州徳川家の家宝である屏風を斬ってしまった。
藩士の上司は当然切腹させようとしたが、紀州藩主・徳川吉宗が「切腹無用」と罪を不問とした。

が、吉宗は



「犯した過ちを忘れぬために、斬った屏風は修復せずにそのままにしておけ」



と命じた。

直通と吉宗に共通しているのが「基本は人のいのち」だ。
直通が長命ならば、きっと吉宗将軍や上杉治憲と並ぶ名君として語り継がれたであろう。



宝永7年7月26日。
井伊直通、在任9年で死去。
享年22。