もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/藤堂高久

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いやこりゃうめえ!

初めてだぜ、奈穂子サン。

いやなに、こないだ小石川の水戸屋敷に新太郎少将様(池田光政)が御挨拶に立ち寄ってな、御老公様に「白桃」を差し上げなすった。

少将様は水戸のジイサンが食い切れねえくれえ「白桃」を持って来てな。だから今日は弥七とこうして「白桃」を食ってるのよ。

鷺草ですかい。

白くてお上品な花だ。

まるで奈穂子サンみてえだな。

で、今日はこの鷺草が咲いてる前橋の話だ。

酒井雅楽頭忠清様の墓暴きの話はこないだしたが、墓暴きの前に大目付の彦坂の旦那は江戸大塚の酒井屋敷に出向いて「オロクを見せろ」ってやった。何も最初っから墓暴きやるつもりじゃなかったんだ。

オロク見て、病死体なら何の問題もねえ。だがな、こないだ奈穂子サンに話した通り、雅楽頭様は槍でてめえの胸を突いて自害したんだ。お大名の自害は即お取り潰しよ。だからオロクは見せらんねえ。

このとき彦坂の旦那に応対したのが雅楽頭様の嫡男・忠明様と娘婿の藤堂高久様よ。

彦坂の旦那がこのお二人に「上意である。遺体を改める」って言ったらな、まず忠明様が「父は病死。それでお引き取り下され」って言った。そりゃあもう拝むような気持ちで彦坂の旦那に言ったんだ。

彦坂の旦那は「忠明様のお気持ちはよくわかるのですが、それがしも役目でございまするゆえ」って言ってオロクが横になってる部屋へと向かおうとしたときに「あいやしばらく!」って両手広げて遮ったのが高久様よ。

高久様は彦坂の旦那に「雅楽頭どのは病死。お疑いならばそのお疑いは津32万石がお引き受けいたす」って言って脅した。彦坂の旦那に津32万石向こうに回して喧嘩する度胸なんざありゃしねえ。旦那はそそくさと帰って事の次第を綱吉公に御報告ってえワケだ。

それで綱吉公が「墓を暴いて来い」ってなるんだが、高久様の時間稼ぎは上手くいった。彦坂の旦那が墓暴きをしたときは雅楽頭様のオロクは丸焼けの骸骨よ。

津32万石賭けての大立ち回り、見事だったぜ。

白桃もうめえけど、備前はやっぱり「ままかり」よ。ありゃあこはだとはまた違った味わいなんだぜ。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/松平乗邑-足高の制-

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魚を干物にする。

こいつは「れいぞうこ」の無え時代に生まれたことだ。

そこに味醂を塗って干すみりん干しなんてえのも生まれた。

メシのおかずによし、酒の肴によしだ。魚ってえのは昔っからオレたち日本人に無くてはならねえ食い物だったのよ、奈穂子サン。

この藪茗荷は佐倉に咲いているんですかい。

佐倉はかつて松平左近将監乗邑様の領地だった。

え?読めねえって、奈穂子サン?

しょうがねえなあ。じゃ、カナ振ってやるか。

「まつだいらさこんのしょうげんのりさと」様って読むんだ。覚えといてくんな。

左近将監様は吉宗公の代の首席老中だ。「享保の改革」を二人三脚でおやりなすった。

奈穂子サンの時代には「職業選択の自由」とかって言うのがあるんだろ?ところがどっこいオレたちの時代にはそんなのは無かった。

石高によって就ける役職が決まってたんだ。

15万石で大老職。

5万石以上で老中職。

2万石以上で若年寄

1万石以上で大坂御定番。

5,000石以上で大番頭。

3,000石以上で町奉行

ついでに言うと大坂御城代や京都所司代も5万石以上の役職だ。

で、今日は万石以下の役職についての話だ。

例えば、1,000石取りのお旗本がいたとする。このお旗本は1,000石だから大番頭や町奉行にはなれねえ。でもな、お旗本の中には低い石高でも有能なお方もいた。そこでだ、左近将監様は石高の足りない者でも役職に就けるようにと「足高の制」ってえのを思いついた。

読んで字の如くだ。石高の足りねえお旗本に在任中石高を足してやるんでさあ。これで1,000石のお旗本でも町奉行やら大番頭やらになれるようになった。幕府の人事の風通しがよくなったんだぜ。

デキるヤツに働いてもらう。ま、当たりめえのことなんだがな。格式やら家柄やらがクソやかましかった時代に、左近将監様は一石投じたのよ。オレァもうスカッとしたぜ。

この「足高の制」、幕末まで続いたんだ。

ま、こいつを思い付くくらいだからな、左近将監様は諸葛孔明の再来だなんて言われた。

本当にウマい干物は、しょうゆかけなくてもウマいんだぜ。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/綱吉将軍と酒井忠清・松平光長

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ヘッヘッヘッ…

今、オレと弥七の目の前には「ちよこれいと」が置いてあるんでさあ。

そう。

奈穂子サンみてえな若えお嬢ちゃんが大好きな「ちよこれいと」がな。

ヘッヘッヘッ…

ただ、奈穂子サンの時代とオレたちの時代の違いは、奈穂子サンたちはこの「ちよこれいと」を食べるのに対し、オレたちの時代はこれを飲んだ。

「ちよこれいと」を食べるようになったのは、オレたちの時代よりもずっとあと、チョンマゲがザンギリになった頃だ。

何でえ、夕方から墓暴きの話ですかい。えじぷとってえ国は趣味が悪りィなあ、オイ。

墓暴きってえと、昔、綱吉公がやったな。酒井雅楽頭様(忠清)の墓暴きをな。

もともと、酒井様は綱吉公が嫌いだった。綱吉公のおっ母あはおたまってえ名前のオンナで、京の八百屋の娘だった。それが家光公の「お手つき」になって綱吉公を生んだ。八百屋の娘の生んだ子が徳川姓を与えられてさらにそのうえ上野館林35万石の大大名になっちまった。酒井様は相当気に食わなかったんだろうぜ、本人のいねえところで「八百屋の子、八百屋の子」って馬鹿にし続けた。綱吉公はそれを知っていたが何せ相手は御大老、何も言えなかった。

何も言えねえところに付け込んだのが、酒井様と親しかった松平越後守(光長)様よ。越後守様はあろうことか御城(江戸城)の中で館林藩主の綱吉公に向かって「このキチガイ野郎」って面と向かって言っちまった。

これを知った酒井様は「さすがにそれはマズい」と思って越後守様に「あとで謝ったほうがいいですぜ」って言った。そしたら越後守様は「キチガイキチガイと申して、何が悪い」って居直っちまった。まあこのとき、この二人のその後は決まったようなモンだけどな。

家綱公が薨去されて綱吉公が五代様になると、早速綱吉公は酒井様と越後守様に仕返しをした。

越後守様の抱えていた御家騒動の御裁きをやり直すって言い出した。この御裁きはすでに酒井様が判決を言い渡していた。それを仕返しのために蒸し返したんだ。

どんな判決が出るか、酒井様にはすぐ目に浮かんだ。それで酒井様は江戸屋敷で肺腑を槍で突いて自害した。

お大名が自害したら藩は取り潰しだ。「死因がわからねえ」ってことで綱吉公は大目付の彦坂の旦那に「墓を暴いて来い」って命じた。彦坂の旦那は「上様、墓暴きなど、尋常の沙汰ではございませぬぞ」って諫めたんだがな、綱吉公は「横死した」って証拠がオロク(遺体)に残ってりゃあ酒井家取り潰して仕返し出来るって思ってた。

彦坂の旦那はしぶしぶ寺に行って墓ァ暴いた。が、オロクは荼毘に付されたあとで、骨になってた。骨じゃ死因はわからねえ。結局酒井家15万石には手ェ付けらんなかった。

恨みの牙は越後守様に向けられた。綱吉公は高田藩御家騒動を理由にして越後守様を取り潰した。越後守様は、権現様の曾孫だ。そりゃあお大名はみんな震え上がったぜ。

「面と向かってキチガイ野郎って言われて、そのまんまなワケねえだろう」

綱吉公はそう言いたかったんだぜ、きっと。

でもよ、人より犬のほうがだいじだなんて、オレに言わせりゃやっぱイカレてるぜ。そうだろう、奈穂子サン?

墓暴きなんて趣味悪いことはしちゃならねえ。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/六浦藩相続一件

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あじをな、ただ塩だけ振って焼くんだ。

こいつが酒に合うのよ、奈穂子サン。

木槿ですかい?

ちょいと悲しげな感じの花でさあね。

こいつが金沢に咲いてるんですかい。

武蔵金沢はかつて北条の時代に北条実時様ってえキレ者のお方が住んでいなすった。実時様の御子孫は姓を金沢に変えて得宗家に仕えた。執権になった金沢貞顕様は実時様の御子孫だ。

で、北条の時代が終わって、何百年と金沢の地は誰も見向きもしなかった。この誰も見向きもしねえ金沢の地に吉宗公の代に藩が置かれた。当時金沢の地は六浦って呼ばれてたからこの藩は六浦藩って名前になった。

六浦藩は1万2千石。こんな小せえ藩なんざ誰も見向きなんかしねえんだが、藩主が毛並みのいいお人でな。

米倉主計頭忠仰様。

下野皆川から転封されて来た。このお方、もともとは柳沢鍋三郎保教と名乗っていた。柳沢美濃守吉保様の六男坊だ。柳沢様は綱吉公の代に大老側用人にまで出世されたお方だ。

「皆川より金沢(六浦)のほうが江戸に近かろう」吉宗公はこう言って忠仰様を六浦に転封させた。江戸に近いってえことは、参勤が楽になる。ま、優遇したってワケだ。

何故優遇したかって、奈穂子サン?

それはな、忠仰様の腹違いの兄上・柳沢吉里様が綱吉公の御落胤だったからよ。吉里様の母親は飯塚染子ってえオンナで、綱吉公の「お手付き」だった。染子おねえさんは桂昌院様(綱吉将軍の生母)とうまくいかなくてな。それで「まざこん」の綱吉公は染子おねえさんを一番信用出来る美濃守様に押し付けた。が、押し付けられて間もなく、美濃守様は染子おねえさんが身ごもっていることに気付く。ま、結局綱吉公は認知はしねえ代わりに柳沢家に松平姓をお与えなすった。

吉宗公は、綱吉公のおかげで八代様になれた。だから吉里様の実弟ならばと優遇した。忠仰様はまあ平凡なお大名だった。その忠仰様が死ぬ前にヘマをやらかした。

忠仰様には里矩様ってえお世継ぎがいたんだがな、忠仰様の死ぬ間際、里矩様はまだ3つだった。「こいつはマズい。3つじゃ取り潰しになるかも知れねえ」って幕府に「跡継ぎの里矩は9歳です」ってウソを幕府に届け出て死んだ。

で、このウソがバレた。松平左近将監様(乗邑)は吉宗公に「あるまじき不始末。改易されて然るべし」って言ったけど、吉宗公は家老どもを処分しただけで六浦藩米倉家は取り潰さなかった。こんなトコまで綱吉公に義理を通すなんざあ、並みの将軍じゃ出来ねえぜ。

あじは天麩羅にしてもイケるんだぜ。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/真田信利一件

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かれいの刺身ってのは身がコリコリしててうめえんだわ。かれいは煮付けも良し、「からあげ」も良しだ。

らべんだあ。

へえ、紫色の綺麗な花だ。で、こいつは沼田に咲いているんで?奈穂子サン?

沼田には昔、とんでもねえトンチキ大名がいたんだ。忘れもしねえよ、あんなトンチキ。

そいつの名前は真田伊賀守信利。信濃松代の真田伊豆守信之様のお孫さんだ。

このトンチキ、もともと松代藩の部屋住みだった。で、三代藩主の座を巡って従兄弟の幸道様と争った。松代10万石の身代、このトンチキはヨダレ流して欲しがった。

トンチキ信利は三代藩主になるために土佐藩やら酒井雅楽頭様(忠清)やらの手ェ借りたんだがな、まだ健在だった信之様の鶴の一声で幸道様が三代藩主におなりなすった。ただ、このトンチキを松代に置いておくのはマズいってんで、酒井様は信之様に気ィ使ってトンチキのヤツを上野沼田3万石の独立大名にしたんでさあ。

これが沼田の領民の不幸の始まりだった。

トンチキのヤツは何を血迷ったのか、領内の検地を何度も何度も繰り返しやがった。つまりは、表高を3万石から吊り上げたんでさあ。で、幕府に「高直し」の届け出をした。「14万4千石です」ってな。

とんでもねえ話だ。

表高を4.8倍にしたら年貢だって4.8倍だ。お百姓さん、みんな飢えて死んじまう。あのトンチキは松代藩が10万石だからそれに張り合いてえってだけで検地を繰り返した。

4.8倍の年貢なんて払えやしねえ。払ったら飢えて死んじまう。払えねえとなると、藩の役人がそこん家の家族を人質に取っちまう。ひでえ話だ。それから藩はお百姓さんに種籾を3割の利子で貸し付けた。ここまでくると狂気の沙汰だ。沼田藩の領民は、みんな飢えちまった。

3万石が14万4千石。綱吉公はこの届け出を見て「おかしい」と思いなすった。そこで綱吉公は一計案じた。沼田藩に国役普請を命じたんだ。

10万石以上の「国持」或いは「国持に准ずる」お大名は必ず国役普請を命ぜられた。例外は無え。

で、沼田藩には両国橋の工事に使うってんで694本の材木を用意するように命じた。ところが期日になっても江戸にはたった6本しか届かねえ。

そりゃそうだ。沼田の領民はみんな腹ペコで江戸まで材木運びなんて出来やしなかった。ひでえ話だ。

これが理由で綱吉公は沼田藩を取り潰してトンチキ信利を山形の奥平様にお預けにした。トンチキのヤツは奥平様が宇都宮に国替えになると連行されて、宇都宮で死んだ。

綱吉公があとで沼田藩を検地し直したら沼田藩は6万石しかなかった。飢えて死んだ領民、年貢払えなくて処刑された領民、可哀想でな。両手合わせて冥福を祈るってもんだ。

トンチキが藩主になると、たくさんの人たちを不幸にする。奈穂子サン、覚えといてくんな。

かれいは焼くよりも煮付け。メシにも酒にも合う。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/松平忠周

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今日はな、弥七のヤツとお銀おねえさんと三人でいつもの鰻屋で飲んだんだ。

この前、水戸のジイサンが野良犬何十匹も殺して柳沢屋敷の庭に放り投げた話したろ?

それでオレも弥七ももう一人、あるお大名のことを思い出したのよ。

松平伊賀守忠周様。

信濃上田城主で、吉宗公のときに老中職になったお方だ。この忠周様が武蔵岩槻城主だった頃、やらかしたんだよ。こいつはオレも弥七もびっくらこいたぜ。

忠周様の頃の岩槻藩領内に、狼がいたんだ。で、そいつが領内の幼子を食い殺しちまった。

おっ母あはワーワー泣くけど、その当時は綱吉公の御代で、例のあの「生類哀れみの令」があって狼は放ったらかしになっちまった。「それは間違ってやがる」忠周様はそう言って自分で火縄銃持って狼をズドンとやった。子供食われたおっ母あは、そりゃあ何遍も地べたに頭ァ擦りつけて忠周様に感謝した。

この話を聴いた綱吉公はびっくり仰天よ。まさか江戸に近い岩槻で、しかも藩主直々に法度破りなんざァ洒落になんねえ。それで綱吉公は忠周様を岩槻から但馬出石に飛ばしちまった。

でもよ、奈穂子サン。ここでちょっと「くえすちょん」があるんだ。あんなに法度(法律)にうるせえ綱吉公がだ、何で忠周様をお取り潰しにしなかったのか?弥七も水戸のジイサンに聴いてみたんだが、水戸のジイサンも「わからねえ」って。

まあそれで何年間か出石でのんびり暮らして、吉宗公の代になって京都所司代に任ぜられた。

で、京都でまたまたやらかした。

お公家さんたちが「在中将がうらやましい」なんて馬鹿っ話してやがった。

「在中将」は「ざいのちゅうじょう」って読むんでさあ、奈穂子サン。在原業平のことを「在中将」って呼んでたんだ。

在原業平ってえお公家さんは3,333人のオンナと寝たってんで頭ン中が桃色桜色のお公家さんたちは「それがうらやましい」って話てた。そこに忠周様がやって来てしでかした。「そんなオンナにだらしないヤツは所司代の権限で召し捕って鳥辺山か三条大橋に晒してやる」ってお公家さんたちに向かって言った。

これを聴いた吉宗公が「気に入った」と江戸に呼び戻して老中職に就けたってえワケだ。

老中職に就くと同時に出石から信濃上田に国替えになった。幕末の老中職の忠固様は忠周様の御子孫だ。

弥七のヤツ、すっかり酒に弱くなったな。

もう歳だからな。

奈穂子サン、また。

奈穂子様/吉宗将軍と須磨

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まぐろをヅケにして握る。こいつあ江戸っ子の知恵だ。

あの冴えた真っ赤っ赤を見ると、腹が減るんでさあ。

今日は御家騒動とはちょいと離れるんで。

半蔵の旦那が「りくえすと」しやがるんでね。

吉宗公とお須磨さんの話でさあ。

吉宗公はもともと加納源六って名乗ってた。こいつは吉宗公のおっかあのお紋さんの身分が低かったからで、生まれてすぐに父親の光貞様は加納政直サンってえ家臣に源六坊ちゃんを押し付けちまった。が、源六坊ちゃんが5歳だか6歳だかのときに思い直して自分の子として認知して松平姓を与えなすった。ただ、源六坊ちゃんはその後もしばらくは加納家で暮らした。

家臣の家で育ち、庶民とともに暮らす。そんなお方だから、兄上の綱教公・頼職公とは違って「初恋」ってヤツがあった。

その「初恋」のお相手が大久保忠直様の娘・お須磨さんでさあ。そのお須磨さんと吉宗公のあいだに出来た赤ん坊が長福丸坊ちゃん、のちの家重公よ。

ただな、お須磨さんは吉宗公が八代様におなりになったことも、家重公が九代様におなりになったことも知らねえ。お須磨さんは二人目を出産されたときに母子もろとも死んじまった。

吉宗公は、そりゃあ涙が枯れるまで泣いた。何せ「初恋」の人だ。この世で一番愛した人だ。御家同士の白々しい縁組なんかとはワケが違うんだ。

この「初恋」の人が残してくれた長福丸坊ちゃんを、吉宗公はだいじに育てた。ただ、長福丸坊ちゃんは、ちょいと発育にマズいところがあった。

きちんと喋れねえんだ。奈穂子サンの時代でいう「言語障害」ってヤツだ。それとな、その、奈穂子サンにはちょいと話づれえんだが、長福丸坊ちゃんは、しょんべんが近かった。「頻尿」ってヤツだ。

「頻尿」はしょうがねえとしても、言葉のほうは深刻だった。それで吉宗公は泣く泣く側用人制度を復活させた。家重公の側近に大岡忠光ってお方がいて、この忠光様だけが家重公の言葉を理解出来た。こんなワケがあって、あれだけ吉宗公が嫌がった側用人制度を復活させた。

また、弟の宗武様を九代様にって声があった。

松平左近将監様(乗邑)とその一派で、左近将監様はそのことが原因で首席老中を罷免されてる。罷免したのは吉宗公だ。左近将監様は「享保の改革」を吉宗公と二人三脚で押し進めたお方であるにもかかわらず、だ。

奈穂子サン、吉宗公はお須磨さんをこころの底から愛してたんだぜ。だから、側用人制度を復活させ、さらにそのうえ最大の「ぱーとなー」の左近将監様をクビにしてまで家重公を九代様にしなすった。

吉宗公はあらゆる我が儘を我慢して30年間将軍職をお務めになられた。その30年間の中のただ一つの我が儘が、家重公の九代様就任よ。

「愛した人の生んだ子を跡継ぎに」

泣ける話じゃねえか。

愛したお須磨さんの生んだ子のために、百害承知で側用人制度を復活させて、宗武様のほうが出来が良いのを承知の上でそれでも愛した人の生んだ子を選んだ。

確かに、家重公は吉宗公と比べるとだいぶ劣るお方だったが、将棋の本を書き残してるくらいだから、おつむは決して馬鹿じゃ無かった。そいつは信じてやってくれ、奈穂子サン。

「初恋」やら「愛」やらってえのは、このヅケまぐろみてえに真っ赤っ赤なモンだからな。

奈穂子サン、また。