もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/松平忠周

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今日はな、弥七のヤツとお銀おねえさんと三人でいつもの鰻屋で飲んだんだ。

この前、水戸のジイサンが野良犬何十匹も殺して柳沢屋敷の庭に放り投げた話したろ?

それでオレも弥七ももう一人、あるお大名のことを思い出したのよ。

松平伊賀守忠周様。

信濃上田城主で、吉宗公のときに老中職になったお方だ。この忠周様が武蔵岩槻城主だった頃、やらかしたんだよ。こいつはオレも弥七もびっくらこいたぜ。

忠周様の頃の岩槻藩領内に、狼がいたんだ。で、そいつが領内の幼子を食い殺しちまった。

おっ母あはワーワー泣くけど、その当時は綱吉公の御代で、例のあの「生類哀れみの令」があって狼は放ったらかしになっちまった。「それは間違ってやがる」忠周様はそう言って自分で火縄銃持って狼をズドンとやった。子供食われたおっ母あは、そりゃあ何遍も地べたに頭ァ擦りつけて忠周様に感謝した。

この話を聴いた綱吉公はびっくり仰天よ。まさか江戸に近い岩槻で、しかも藩主直々に法度破りなんざァ洒落になんねえ。それで綱吉公は忠周様を岩槻から但馬出石に飛ばしちまった。

でもよ、奈穂子サン。ここでちょっと「くえすちょん」があるんだ。あんなに法度(法律)にうるせえ綱吉公がだ、何で忠周様をお取り潰しにしなかったのか?弥七も水戸のジイサンに聴いてみたんだが、水戸のジイサンも「わからねえ」って。

まあそれで何年間か出石でのんびり暮らして、吉宗公の代になって京都所司代に任ぜられた。

で、京都でまたまたやらかした。

お公家さんたちが「在中将がうらやましい」なんて馬鹿っ話してやがった。

「在中将」は「ざいのちゅうじょう」って読むんでさあ、奈穂子サン。在原業平のことを「在中将」って呼んでたんだ。

在原業平ってえお公家さんは3,333人のオンナと寝たってんで頭ン中が桃色桜色のお公家さんたちは「それがうらやましい」って話てた。そこに忠周様がやって来てしでかした。「そんなオンナにだらしないヤツは所司代の権限で召し捕って鳥辺山か三条大橋に晒してやる」ってお公家さんたちに向かって言った。

これを聴いた吉宗公が「気に入った」と江戸に呼び戻して老中職に就けたってえワケだ。

老中職に就くと同時に出石から信濃上田に国替えになった。幕末の老中職の忠固様は忠周様の御子孫だ。

弥七のヤツ、すっかり酒に弱くなったな。

もう歳だからな。

奈穂子サン、また。