もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/吉宗将軍と須磨

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まぐろをヅケにして握る。こいつあ江戸っ子の知恵だ。

あの冴えた真っ赤っ赤を見ると、腹が減るんでさあ。

今日は御家騒動とはちょいと離れるんで。

半蔵の旦那が「りくえすと」しやがるんでね。

吉宗公とお須磨さんの話でさあ。

吉宗公はもともと加納源六って名乗ってた。こいつは吉宗公のおっかあのお紋さんの身分が低かったからで、生まれてすぐに父親の光貞様は加納政直サンってえ家臣に源六坊ちゃんを押し付けちまった。が、源六坊ちゃんが5歳だか6歳だかのときに思い直して自分の子として認知して松平姓を与えなすった。ただ、源六坊ちゃんはその後もしばらくは加納家で暮らした。

家臣の家で育ち、庶民とともに暮らす。そんなお方だから、兄上の綱教公・頼職公とは違って「初恋」ってヤツがあった。

その「初恋」のお相手が大久保忠直様の娘・お須磨さんでさあ。そのお須磨さんと吉宗公のあいだに出来た赤ん坊が長福丸坊ちゃん、のちの家重公よ。

ただな、お須磨さんは吉宗公が八代様におなりになったことも、家重公が九代様におなりになったことも知らねえ。お須磨さんは二人目を出産されたときに母子もろとも死んじまった。

吉宗公は、そりゃあ涙が枯れるまで泣いた。何せ「初恋」の人だ。この世で一番愛した人だ。御家同士の白々しい縁組なんかとはワケが違うんだ。

この「初恋」の人が残してくれた長福丸坊ちゃんを、吉宗公はだいじに育てた。ただ、長福丸坊ちゃんは、ちょいと発育にマズいところがあった。

きちんと喋れねえんだ。奈穂子サンの時代でいう「言語障害」ってヤツだ。それとな、その、奈穂子サンにはちょいと話づれえんだが、長福丸坊ちゃんは、しょんべんが近かった。「頻尿」ってヤツだ。

「頻尿」はしょうがねえとしても、言葉のほうは深刻だった。それで吉宗公は泣く泣く側用人制度を復活させた。家重公の側近に大岡忠光ってお方がいて、この忠光様だけが家重公の言葉を理解出来た。こんなワケがあって、あれだけ吉宗公が嫌がった側用人制度を復活させた。

また、弟の宗武様を九代様にって声があった。

松平左近将監様(乗邑)とその一派で、左近将監様はそのことが原因で首席老中を罷免されてる。罷免したのは吉宗公だ。左近将監様は「享保の改革」を吉宗公と二人三脚で押し進めたお方であるにもかかわらず、だ。

奈穂子サン、吉宗公はお須磨さんをこころの底から愛してたんだぜ。だから、側用人制度を復活させ、さらにそのうえ最大の「ぱーとなー」の左近将監様をクビにしてまで家重公を九代様にしなすった。

吉宗公はあらゆる我が儘を我慢して30年間将軍職をお務めになられた。その30年間の中のただ一つの我が儘が、家重公の九代様就任よ。

「愛した人の生んだ子を跡継ぎに」

泣ける話じゃねえか。

愛したお須磨さんの生んだ子のために、百害承知で側用人制度を復活させて、宗武様のほうが出来が良いのを承知の上でそれでも愛した人の生んだ子を選んだ。

確かに、家重公は吉宗公と比べるとだいぶ劣るお方だったが、将棋の本を書き残してるくらいだから、おつむは決して馬鹿じゃ無かった。そいつは信じてやってくれ、奈穂子サン。

「初恋」やら「愛」やらってえのは、このヅケまぐろみてえに真っ赤っ赤なモンだからな。

奈穂子サン、また。