もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/鮭延秀綱

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水戸のジイサン、今日は雑煮に鮭の切り身なんざ入れやがって。

だしがしっかり取れてるから生臭くはねえんだがな。どうせならかしわ(鶏肉)入れてくれりゃあなァ…

鮭延越前守秀綱様。

元は最上の御重臣でさァ。

最上は52万石だった。だから万石級の家臣がゴロゴロいなすった。鮭延様は1万1千5百石。他の御重臣の中にはもっといっぱいもらってるお方もいたんだ。

最上はな奈穂子サン、藩祖・義光様と二代目の家親様が権現様の信用を勝ち得てな。東北で50万石を超える大名は伊達と最上だけだった。

ところがだ、三代目の義俊様が奈穂子サンのお察しの通りのトンチキ野郎でな。トンチキだから家老の松根ナントカってえのに唆されて藩政放っぽらかして遊蕩三昧よ。

で、あとはもうお決まりの「ぱたーん」だわな。最上にゃあ1万石級の御重臣がゴロゴロいるもんだから、みんなして我が儘言って譲らねえ。我が儘が通らねえとなるとトンチキを頭ハネして幕府に訴える。

ま、秀忠公も「最上義俊に52万石は無理」ってご判断なすってな。そンで山形52万石は収公、その代わりに別の地に6万石を与えるってえことになった。この6万石は義光・家親二代の忠誠に対する6万石よ。

山形に来た幕府の役人がこの御裁きを伝えたときだった。「あいやしばらく!」ってな、よく通る男らしい声の御重臣が一人、役人の前に進み出た。これが鮭延様よ。

鮭延様は役人に「今回の御処分は家老・松根備前の専横と藩主・義俊の暗愚によるもの。たとえこの度6万石を頂戴してもこの2人がまた藩主と家老では何度でも同じ過ちを犯しましょう。ならば、いっそのこと最上家はお取り潰しにして欲しゅうござる」って申し出た。そンでこの申し出に反対する御重臣は一人もいなかった。みんなウンザリしてたんだろうぜ。

結局、鮭延様のお申し出の通りになった。山形52万石は収公、最上家は全員散り散りになったのよ。

鮭延様は御大老土井利勝)にお預けになってな。そこで1年ばかし過ごした。鮭延様は御大老に気に入られてな。御大老は鮭延様に「5千石で土井家に仕えぬか?」ってえ話を持ちかけた。下総古河16万石の内からの5千石だ、決して小さくねえ。だが鮭延様は断った。「最上取り潰しの際、旧主・義俊と約束しました。1万1千5百石を1粒でも欠けても再仕官(再就職)は致しませぬと。再仕官をして働くも武士、忠義を尽くして貧乏するも武士」ってな。

鮭延様は1年くらいして御赦免になってな、御大老の屋敷から放免された。その放免の日のことよ。

土井屋敷の門を出た瞬間だ。20人の小汚ねえ身なりの浪人がバッと鮭延様の前に現れて平伏した。

この20人はな、かつて山形で鮭延様に仕えていた連中だ。鮭延様は涙が止まらなかった。「おまえたち、オレを待っててくれたのか」ってな。

それから鮭延様たちは御茶ノ水に堀建小屋を作った。御茶ノ水の連中は最初、「乞食が20人も引っ越して来た」って思った。ま、無理もねえわな。

この頃の江戸は奈穂子サンの時代で言う「建設ラッシュ」ってえヤツでな。だから日雇いの力仕事ならいくらでもあったんだ。鮭延様のご家来20人はそうして暮らした。

それが「奇妙な乞食連中がいる」ってんで噂になった。噂になりゃあからかいや嫌がらせをしに来るヤツも出て来やがる。

堀建小屋にはご家来方の家族も一緒に住んでるんだがな。ちょうどご家来方が仕事に出てる間に騒ぎが起こった。

ご家来方の娘の一人を、神田駿河台から堀建小屋を冷やかしに来た連中が犯そうとしたのよ。これを鮭延様が槍を奮ってやっつけた。

で、この連中が次の日仕返しにやって来た。来るだろうぜって読んでた鮭延様が「者共かかれっ!」って大きな声を出した途端、小屋からご家来方が棍棒を持って飛び出して連中を散々に痛めつけたのよ。

騒ぎを聞いた御大老は「馬鹿な連中だ。鮭延秀綱の軍団といえば、かつて関ヶ原のおりにあの直江兼続を地獄の入り口まで連れて行った男だぞ」って笑いなすった。そンで家老の寺田のオッサンに「おまえ、御茶ノ水に行ってな、何とか5千石で土井家に仕えぬかと言ってまいれ」ってお命じになったんだ。

でもよ、やっぱり鮭延様の返事はおんなじなんだ。「1万1千5百石を1粒でも欠けても再仕官は致しませぬ」ってな。

しかしまあ、奈穂子サンにもわかると思うが、人ってえのは歳を取るんだ。力仕事を続けるにも限界がある。そこへ、鮭延様にとって「決定打」になる事故が起きた。ご家来方の中に下濃又兵衛サンってえのがいてな。その下濃サンの三男坊が作業中に土砂崩れにあって死んじまったのよ。

この三男坊のオロク(遺体)を見た鮭延様は「オレが5千石で土井家に仕えていれば、こいつは生き埋めにならないで済んだ」ってワーワー泣いた。これがきっかけになった。

それから少しして、あれァ寛永8年のこったな。旧主のトンチキ義俊がポックリ逝っちまった。これで鮭延様の気持ちに踏ん切りがついたのよ、「土井家に仕えよう」ってな。

鮭延様が土井屋敷の門を叩くと家老の寺田のオッサンが笑顔で出迎えた。「よく来てくれた」って、寺田のオッサン泣き出しちまってな。知らせを聞いた御大老は「すぐに通せ」って大喜びだ。御大老は鮭延様に「越前、条件は以前と変えんぞ。5千石だ」っておっしゃった。鮭延様は「それでよろしゅうござる」って受け入れなすった。

鮭延様は御大老に「御赦免の日から今日まで、同じ小屋に14人の家来とともに暮らして来ました。叶うことならこの5千石、この14人に均等に分けてやりとうござる」って申し出た。御大老は「そうすれば良い。鮭延越前守、やはりワシの眼に狂いは無かっわ」って喜んだ。ご家来方は20人いたんだがな、9年の間に6人が死んじまってた。

1人あたま370石ちょっと。そんでも、9年間苦楽を共にしたご家来方に何とか報いてやりたかったんだろうぜ。

鮭延様は古河で一生を終えられた。84歳だった。ご家来方が銭を出し合ってな、古河に立派な墓を建ててやった。最後の最後まで心でつながってた主従だった。

鮭を雑煮に入れるときゃあな、しょうゆをドバッと入れるといいぜ。

奈穂子サン、また。