もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/堀尾家廃絶-幕府の外様大名政策-

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今日はな、しじみだ。

出羽守様(松平直政)が宍道湖で採れたうめえしじみを水戸のジイサンにたんまり差し入れたからな。弥七がそいつをオイラの家に持って来たってえワケだ。

こいつァしょうゆに漬けて食うとうめえんだ。

何だオイ麻由坊、おめえまでしじみ持って来たのか。

じゃ、おめえの棒手振りのしじみはあとで味噌汁にしてやらあ。

堀尾山城守(忠晴)様?

おい麻由坊、山城守様はトンチキなんかじゃねえぞ。

あん?

山城守様の倅だって?

ああ、確かいたとかいねえとかでお取り潰しンときに揉めてたなあ。

麻由坊が言ってるのは萬五郎坊っちゃんのこったろう?

ありゃあな、おっ母ァの身分が低くって認知出来なかったんだ。だから萬五郎坊っちゃんはどっかの百姓か町方になって一生を終えた。

はい、この話おしまい。

おめえも寄り道なんかしねえで真っつぐ家帰えって寝るんだぞ。

麻由坊、またな。

って、おい麻由坊、おめえそんなに強く袖引っ張ったら千切れちまうじゃねえか!

何?

おめえが知りてえのは萬五郎坊っちゃんのことじゃねえって?

じゃ、何の話なんでえ?

味噌汁煮えるまで話してやるから言ってみろ、麻由坊。

何で堀尾宗十郎様に松江藩相続が認められなかったかって?

確かに宗十郎様は山城守の従兄弟だから、減知になったとしても大名としての家名は残しても良さげなんだがな。

ま、そいつァアレだな麻由坊。日頃の「お付き合い」ってヤツだな。麻由坊の時代でいう「人間関係」ってヤツだ。

堀尾家は藩祖の吉晴様がそこンとこをよくわかっていらっしゃるお方でな。吉晴様ご生前は幕府と松江藩堀尾家の関係は良好だった。が、山城守様はそこンとこがイマイチよくわかっちゃいなかった。

山城守様は親父(忠氏)が早くに死んじまったモンだから、おじいちゃん子で育った。そこでおじいちゃんがどんなふうに幕府と付き合ってるかちゃんと見てりゃ良かったんだがな、山城守様は人付き合いよりも弓・槍・刀のほうに向いてるお方だった。だから大坂の陣のときゃあ外様ながらも大活躍よ。

幕府は大炊頭様(土井利勝)を筆頭に「外様などゴミ同然。あるだけ迷惑」ってえ考え方だった。もちろん、松江藩堀尾家だっておんなじ目で見られた。山城守様はそいつがわかっちゃいなかった。だから何の手も打たなかった。ま、山城守様もまさかてめえが30前にぽっくり逝くなんざァ思いもよらなかったんだろうぜ。

山城守様にゃ御正室にも側室にも子供ができねえまんま死んじまった。萬五郎坊っちゃんを認知出来ねえ以上、堀尾家は御家断絶でお取り潰しだ。家臣たちゃあそいつは何としても避けてえからな。そンで麻由坊が言う従兄弟の宗十郎様を跡継ぎにって伊豆の旦那(松平信綱)に頼み込んだ。

伊豆の旦那も身内がいるんなら減知で家名存続させてもいいって思ってな。それで伊豆の旦那は大炊頭様にご相談だ。

あとは麻由坊の想像通りよ。大炊頭様は宗十郎様の家督相続を認めねえ。「外様はゴミ同然。あるだけ迷惑」だからな。

堀尾一族は出雲に残る者、肥後へ行く者、他へ行く者と散りぢりになった。山城守様がもうちょっと幕府との付き合いに気配りと目配りをしてりゃあなあ。

その点、肥後の越中守(細川忠興)様や陸奥守(伊達政宗)様は常に幕府との付き合いに気配りと目配りをした。だから取り潰されずに生き残った。日頃の付き合いがものを言うのがオレたちの時代だ。幕府と上手に付き合った外様は「ゴミ同然」には扱われなかったぜ。

さ、味噌汁が煮えたぞ。

しじみのいい匂いがすらあ。

しじみ汁には卵かけごはんだ。

食ったら真っつぐ家に帰えるんだぞ。

麻由坊、またな。