もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/八百屋の娘の栄達-桂昌院と蘿蔔家紋-

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正月は雑煮に限るんだが、何をトチ狂ったのか弥七の奴、おでん持って来やがった。

しょうがねえ野郎だ。

ま、こいつァよく味の染みたうめえ大根だあな。

何だオイ、麻由坊。

おめえ、鍋なんか持って…

まさかおめえまでおでん持って来たんじゃねえだろうな?

へっ、図星かい。

ん?

麻由坊、おめえのおでんにゃ馬鈴薯が入ってんのか?

こいつァいいや。

おい麻由坊、こっち来て一緒に菜めしでも食ってけ。

で、今日はどこのトンチキお大名の話をすりゃあいいんだ?

あん?

桂昌院様だ?

麻由坊、おめえは正月早々ロクなこと言わねえガキだ。

あんなお方の話なんざしてたら奉行所しょっ引かれちまうだろ。

まあでもうめえおでん食わしてもらったしな。しょうがねえから話してやるか。

桂昌院様はな、もとは八百屋の娘でな。お玉ってえ名前だった。

お玉のおっ母ァの名前はわからねえんだが、京の堀川通西藪屋町の八百屋の仁左衛門ってえオッサンの女房だった。

この仁左衛門のオッサンが女房に先立って死んじまってな。

八百屋の女房だって明日生きてかなきゃなんねえ。そンでだ麻由坊、この八百屋の女房は二条家の家司の本庄宗利様と再婚したのよ。

ま、アレだ麻由坊。

八百屋の女房も宗利様も千恵坊の時代でいう「バツイチ」だった。八百屋の女房はお玉とお玉の姉さんを連れ子してたし、宗利様は道芳様ってえ息子と娘三人を連れ子してた。

この再婚が上手くいってな。八百屋の女房と宗利様の間にゃあ平四郎ってえのと九市郎ってえのが生まれた。

そんなトコへ、御城(江戸城)の大奥から宗利様ンとこに「お玉を奉公に差し出せ」って言って来た。何でも六条家の姫君(お万の方)が家光公のお気に入りになったってえんで身の回りの世話をするおなごが必要になったって話でな。

何でお玉に目ェ付けたかって?

そいつはな麻由坊、八百屋の仁左衛門が生きてた頃、二条家のヤツがそこで野菜を買ったのよ。そンときだ、麻由坊。かわいらしい女の子が店の野菜で数え歌なんか歌ってやがってな。かわいくて、数え歌歌えるくらい利発なお嬢ちゃんだ。大奥に上がらすにはもってこいだったのよ。

二条家と六条家は縁続き。あっと言う間に話は決まった。

八百屋の娘が大奥に行って何が出来るのかよくわかんねえんだがな、ただな麻由坊、お玉は人から好かれる能力がずば抜けてた。

その頃大奥は春日のバアサン(春日局)が仕切ってたんだがな、春日のバアサンがお玉をえれえ気に入ってな。大奥のしきたりやら礼儀作法やらをみっちり仕込んで家光公の夜伽に出した。そしたらお手がついて徳松様をお生みになった。徳松様は麻由坊も知っての通り、のちの綱吉公よ。

八百屋の娘が征夷大将軍の御生母だ。世の中何が起こるかわかんねえわな。

いいか麻由坊、大奥には「一引、二運、三器量」ってえ言葉がある。大奥で栄達するにゃあ権力者からの引きと自身の運と器量(美人)の3つが必要なんだ。そこいくとお玉は春日のバアサンの「引き」があったし、八百屋の店先で二条家の者に見つけられた「運」があった。そしてなにより顔がかわいかった。

三拍子揃ってたのが、たまたま八百屋の娘だった。

と、まあ、これが桂昌院様の話なんだがな、麻由坊の持って来たおでんの鍋にウマそうな大根が入ってるから、もう一つ話をしてやンぜ。

お玉はな、徳松様を生んでしばらくのちに宗利様とてめえのおっ母ァの間にできた平四郎を江戸に引き取った。理由はな、徳松様付きの家臣にするためよ。

平四郎はトントン拍子で出世してな、あれァ確か宝永2年のことだったな。平四郎は綱吉公から松平姓を与えられて本庄宗資ってえ名前になった。

八百屋の女房だったカカアの息子が、将軍の生母の弟ってえだけで7万石の松平姓のお大名だ。

実ァな麻由坊、桂昌院様はな、一度、この松平宗資サンに子供の頃に歌ってた野菜の数え歌を聴かせたことがあるんだ。数え歌聴かせながらな、桂昌院様は「我が家はもともと八百屋の血筋。八百屋であったことを忘れずに将軍家へ奉公せえ」って言って聞かせた。宗資サンも数え歌と話を聴いてからは誰に対しても一歩下がった態度で穏やかに接するようになった。だから本庄松平家には敵がいなかった。

宗資サンはな、本庄松平家の替紋を蘿蔔にした。蘿蔔は七草のすずしろだ。早ええ話が大根よ。大根二本の家紋。大根を家紋にした家なんざ本庄松平家だけだ。

そこにゃあ宗資サンなりの思いがあった。「我等もとをただせば八百屋の子」ってな。

のちに宗資サンの本庄松平家桂昌院様や綱吉公が死んだずっとあと、丹後宮津に国替えになるんだがな。麻由坊よ、お玉のおっ母ァの母方が朝鮮人だったってえ話でな。昔っから丹後や丹波や但馬には朝鮮人がまとまった人数で暮らしてた。だからあの辺には朝鮮人街道って道があったくらいだ。丹後宮津に国替えになることで、本庄松平家はてめえの血筋の「るーつ」にたどり着けたんじゃねえのか。

そう考えると八百屋のおっ母ァや桂昌院様にとっちゃあ本庄松平家宮津藩は全て一本の糸で繋がってたってことになるのかもな。

麻由坊、馬鈴薯もうめえんだが、やっぱりおでんの主役は大根だぜ。

味の染みた大根に熱燗。

くああっ!

たまんねえなあ!

麻由坊、またな。