もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/蒲生騒動

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正月はみかんだわな。

弥七のヤツ、水戸のジイサンが松山藩からみかん山ほどもらったってんで、今日はオレにもお裾分けだってよ。

何だオイ麻由坊、今日はまたいい匂いのするモン持って来たな。

麻由坊、そりゃおめえ、雉の照り焼きじゃねえか。

ま、雉みてえな脂っこい肉を食ったあとはさっぱりみかんで決まりだな。

蒲生中務大輔様?

麻由坊、おめえ、蒲生忠知様のことなんてどこの誰から聞いたんだ?

ありゃあおめえ、確かにトンチキだ。麻由坊が喜びそうなトンチキお大名だ。

蒲生中務大輔様はな、蒲生飛騨守様(秀行)と権現様の娘・振姫様との間に生まれた。飛騨守様の正室が振姫様だからな、蒲生家は松平姓を与えられた。

もともと蒲生家は陸奥会津若松60万石の大大名だったんだがな、直系が中務大輔様の兄貴(忠郷)の代で絶えちまった。

そンで幕府は弟の中務大輔様に蒲生家相続を認めたんだがな、会津若松60万石の相続は認めなかった。中務大輔様は今度は伊予松山24万石に減知になった。

本来、直系の血筋が絶えたらお取り潰しなんだがな、中務大輔様のおっ母ァが振姫様だ。御大老土井利勝)もそのへん考慮したんだろうぜ。

しかしまあ、このトンチキ中務大輔様てえお方は、ちょいと不自然なくらい優遇されててな。

中務大輔様の「大名でびゅー」が寛永3年。こンとき中務大輔様は出羽上山4万石を与えられてるんだ。ただな麻由坊、こンとき中務大輔様は正四位下侍従に叙任されてるのよ。兄貴の忠郷様が従四位下侍従のまんま死んでるのにだぜ。不自然だろ?正四位の次は従三位だ。こんな優遇、何かワケがなきゃ幕府だってしねえよ。

松山24万石の次は嫁取りだ。ここでも中務大輔様は磐城平の内藤左馬助様(政長)のお姫さんをもらった。内藤家は御譜代でも名門だ。ここでも優遇されてんのがよくわかる。

このお姫さんが中務大輔様がトンチキになっちまう原因だったのよ。

中務大輔様と内藤のお姫さんは誰の目から見てもおしどりでな。そりゃあおめえ、みんな羨ましがったモンよ。

ところがだ麻由坊、どんなにおしどりでも子供ができねえんだ。夫婦になって1年経ち、2年過ぎ…一向に内藤のお姫さんは懐妊しねえ。しょうがねえから中務大輔様は側室をもらうことにした。それも1人や2人じゃねえ。たくさんの側室だ。

ところがそれでも子供ができねえ。ここからだ、麻由坊。中務大輔様がトンチキになっちまうのは。

トンチキ中務大輔様はな、松山城天守閣から望遠鏡で城下町を見るのが趣味だった。ある日、いつもの趣味で天守閣から城下町を見てたらしあわせそうな妊婦が歩いてるじゃねえか。

で、あとは麻由坊の想像通りになるんだがな、トンチキ中務大輔様はこの妊婦を松山城に連れ去って妊婦の腹裂きをやったのよ。妊婦の腹裂きだけァやっちゃいけねえ。それでも、子供ができねえ悩み・苦しみが中務大輔様をイカレポンチにしちまったんだな。

このトンチキ様はな、ただ単に腹裂きをやるんじゃねえんだ。腹ァ裂いて胎児を取り出したあと、「これは男の子」「これは女の子」ってえ具合に性別判定をやるんだぜ。どうだ麻由坊、トンチキもここまで来ると発狂乱心そのものだろ?

妊婦は松山城にある俎石ってえ石の上で腹裂きされたあと、オロク(遺体)は取り出された胎児と一緒に松山城三の丸にある物置に放り込まれた。ったく、ロクなことしねえバカ殿様だぜ。

ま、罰が当たったんだろうぜ。

あれァ寛永11年の8月18日のこった。

トンチキ中務大輔様は江戸へ参勤の道中、京都の松山藩邸で急にぽっくり逝っちまった。まだ30だったんだがな。

トンチキ様と内藤のお姫さんの間にゃ子供がいなかったし、あれだけたくさんいた側室も誰一人懐妊しなかった。これで松山藩はお取り潰しよ。

だがな麻由坊、ここでまたおかしなことが2つ起こるのよ。

1つ目はな、幕府が、と言うより家光公が蒲生家の遺臣の再仕官(再就職)を斡旋するのよ。いつもなら幕府はお大名を取り潰すとあとは放ったらかしにするんだがな、蒲生家については家光公があれこれ再仕官の口を世話したんだ。解せねえなァ。

で、2つ目だ、麻由坊。

実ァな麻由坊、トンチキ様がぽっくり逝ったとき、内藤のお姫さんは腹ボテでな。そいつを知った家光公は蒲生家の連中に「生まれて来る子が女の子でも、蒲生家の再興を約束する」って言ったのよ。

そンで内藤のお姫さんは実家の内藤家で女の子を生んだ。

ただ、この女の子も寛永13年の8月9日に死んじまった。まだ3つだったんだがな。

妊婦の腹裂きなんざァ狂気の沙汰だが、トンチキ中務大輔様は家臣には好かれてた。トンチキ様の三十三回忌の寛文6年、蒲生家の遺臣たちが少ねえ銭出し合ってトンチキ様の菩提寺の近江雲住寺に鐘を寄進している。こんなこと、なかなか出来ることじゃねえぜ。

ま、アレだな麻由坊。

中務大輔様はトンチキと名君の両方の顔があったってえこった。

しかしまあ不思議なのは、何でまた家光公は中務大輔様を優遇したのかってことだな。この優遇は単にオフクロが振姫様ってことを完全に超えちまってるからな。

そこンとこは今度水戸のジイサンに会ったときにでも聴いてみるか。

麻由坊、おめえもしっかりみかん食って風邪に備えろよ。

風邪のバイキンが脳味噌に入ると中務大輔様みてえにトンチキになっちまうからな。

麻由坊、またな。