もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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いずみ江戸日記/松平乗邑罷免

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いずみサン、そいつはいわしの煮付けですかい。

いわしはあっしの好物でしてね。

松平左近将監(乗邑)様、ですかい?

いずみサン、何でまたあのお方のことを?

いえね、話ちゃいけねえお方じゃねえんですがね。あのお方は何ぶん終わりがよろしくねえもんで。

まあでもいずみサンの頼みとありゃあ話さねえワケにもいかねえからな。

じゃ、ちょいとお耳を拝借しますぜ、いずみサン。

聡明ないずみサンのこった。今日聴きてえのは左近将監様罷免の真相でごぜえやしょう?

左近将監様は吉宗公の改革(享保の改革)にはなくてはならねえお方だった。年貢の増収ってえ誰もが嫌がる役目をやるんだからな。

いずみサン、家宣公・家継公の7年間で年貢の徴収率がえれえ下がった。綱吉公の頃は何とか四公六民の割合を守れたんだがな、家宣公から三公七民、ひでえときは二公八民まで落ち込んだ。

家宣公は何事も京風のお上品を好んだからな。あんましビシビシ年貢を取り立てんのが好きじゃなかったんだろうぜ。

でもよいずみサン、幕府の予算は年貢で成り立ってるんだ。年貢が足りなきゃ予算だって萎む。それが回り回っていずみサンの時代でいう「でふれ」にしちまった。

左近将監様は二公八民まで落ちた年貢の徴収率を上げるために勝手掛老中職(総理大臣兼財務大臣)に就いた。無論、任じたのは吉宗公だ。

左近将監様は年貢増収のために勘定奉行に神尾春央ってえオッサンを据えた。この神尾のオッサンがえれえどぎついお方でな。神尾のオッサンは「百姓と胡麻の油は搾れば搾るほど良い」なんて言いやがるどぎついオッサンだった。

いずみサン、一つの例としてなんだがな、武蔵国西方村の件がある。ここはいずみサンの時代だと埼玉県越谷市のあたりになるんだがな、この村は家宣公・家継公の頃から年貢の徴収率が二公八民だった。それが、神尾のオッサンが新たに任命した代官に年貢の取り立てをさせたらたった5年で四公六民に回復よ。

「凄腕」って言やあ聞こえはいいんだが、要は手厳しく年貢を取り立てたってこった。それが神尾のオッサンの言う「百姓と胡麻の油は…」ってことなのよ。二公八民が四公六民になるんだ、いずみサン。相当どぎついことをやったんだろうってえのは容易に想像つくぜ。このどぎつい年貢の取り立てを日本全国でやったのよ。吉宗公の改革がある一定の成果を出せたのは間違い無くこのどぎつい取り立てがあったからだぜ。

でもよいずみサン、取り立てられるお百姓さんだって生きていかなきゃなんねえ。今までユル~く二公八民だったものを四公六民に戻すんだ。お百姓さんの手元に残るコメが2割も減るんだからな。コメをゼニに換えてモノを買うんだから、お百姓さんだって苦しくなっちまう。

耐えらんなくなった近畿のお百姓さんが、幕府じゃなくて朝廷に直訴した。お公家さんに直訴しても死罪にゃならねえからな。で、この件をミカド(桜町天皇)がえれえ気にしなすった。「関東の治世は正しいのか?」ってな。

その後、吉宗公が代替わりのお伺いの使者を朝廷に立てたんだがな、ミカドは「家重サンの九代将軍はええんやが、松平サンがそのまんま首席老中いうんはちょっと…」って嫌な顔しなすった。

使者からそれを聴いた吉宗公は左近将監様の罷免を決心なさった。泣く泣くの罷免だ。何せ吉宗公と左近将監様は正真正銘の二人三脚だったからな。

いずみサンはおそらく左近将監様罷免について「左近将監様が田安様(徳川宗武)擁立を企んだから」って聞いてんだろうけどな、そいつは違うぜ。

吉宗公は綱吉公を見習ってミカドや朝廷を敬う政策を取った。そのミカドが今の年貢の取り立て方をえれえ気になさってる。「松平サンがそのまんま首席老中いうんはちょっと…」ってえ御叡慮を聞いたとき、吉宗公は左近将監様罷免を決断したのよ。

ただまあ、てめえでクビにすんのはあんまりにバツ悪りいから、家重公に代替わりしたあとに家重公に罷免させた。

罷免のあとの左近将監様は悲惨だった。

老中職に就く連中は、在職中に袖の下を取って屋敷を建てるんだがな、左近将監様は真面目なお方だったから袖の下を取らなかった。だから罷免のあと、住む家が無かったのよ。

江戸っ子たちはここぞとばかりにけなしまくった。何せ左近将監様は「増税論者」だったからな。口汚く「松平左近将監は、あれは正義づらして賄賂を取らなかったバカだから、住む家を建てらんなかった」ってけなしたんだ。

左近将監様は親戚の土屋サンってえ旗本の家の居候になった。ついこないだまで首席老中だったお方が宿無しの居候だ。

居候になったあと、左近将監様は風邪引いて寝込んじまった。それを聞いた吉宗公は侍医を土屋サンの家に差し向けた。それから、寒い日には綿入れを差し入れた。

左近将監様はボロボロ泣いてな、使者に「不肖の臣にこれほどまでの御厚情、大御所様にくれぐれも御礼を」って言いなすった。

それを聴いた吉宗公はな、「将軍吉宗として、左近将監罷免はやむを得なかった。でも一人の人間としてのオレは、今でも松平乗邑が大好きだ」っておっしゃられた。そのことを使者から聞いた左近将監様は御城の方角向いてしばらく泣きっぱなしだった。

いずみサン、オレもこの話を知ったときゃあ思わず涙が出てきちまってな。

吉宗公は人の気持ちのわかるお方。だからこそ名君なんだ。

その名君を支えた左近将監様も名老中だったぜ。

いわしは梅肉と煮付けるとうめえんだ。

いずみサン、また。