もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/松平乗邑-足高の制-

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魚を干物にする。
こいつは「れいぞうこ」の無え時代に生まれたことだ。
そこに味醂を塗って干すみりん干しなんてえのも生まれた。
メシのおかずによし、酒の肴によしだ。魚ってえのは昔っからオレたち日本人に無くてはならねえ食い物だったのよ、奈穂子サン。



この藪茗荷は佐倉に咲いているんですかい。
佐倉はかつて松平左近将監乗邑様の領地だった。
え?読めねえって、奈穂子サン?
しょうがねえなあ。じゃ、カナ振ってやるか。
「まつだいらさこんのしょうげんのりさと」様って読むんだ。覚えといてくんな。
左近将監様は吉宗公の代の首席老中だ。「享保の改革」を二人三脚でおやりなすった。
奈穂子サンの時代には「職業選択の自由」とかって言うのがあるんだろ?ところがどっこいオレたちの時代にはそんなのは無かった。
石高によって就ける役職が決まってたんだ。
15万石で大老職。
5万石以上で老中職。
2万石以上で若年寄
1万石以上で大坂御定番。
5,000石以上で大番頭。
3,000石以上で町奉行
ついでに言うと大坂御城代や京都所司代も5万石以上の役職だ。
で、今日は万石以下の役職についての話だ。
例えば、1,000石取りのお旗本がいたとする。このお旗本は1,000石だから大番頭や町奉行にはなれねえ。でもな、お旗本の中には低い石高でも有能なお方もいた。そこでだ、左近将監様は石高の足りない者でも役職に就けるようにと「足高の制」ってえのを思いついた。
読んで字の如くだ。石高の足りねえお旗本に在任中石高を足してやるんでさあ。これで1,000石のお旗本でも町奉行やら大番頭やらになれるようになった。幕府の人事の風通しがよくなったんだぜ。
デキるヤツに働いてもらう。ま、当たりめえのことなんだがな。格式やら家柄やらがクソやかましかった時代に、左近将監様は一石投じたのよ。オレァもうスカッとしたぜ。
この「足高の制」、幕末まで続いたんだ。
ま、こいつを思い付くくらいだからな、左近将監様は諸葛孔明の再来だなんて言われた。



本当にウマい干物は、しょうゆかけなくてもウマいんだぜ。
奈穂子サン、また。