もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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いずみ江戸日記/調所笑左衛門と富山の薬売り

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ん?

いずみサン、そいつァにしんの昆布巻きですかい?

こりゃあいい。

酒がいくらでも進む。

富山の薬売り?

ああ、ありゃあオレたちの時代から有名ですぜいずみサン。

でも何でまたあんな連中のことを?

エッ?

あの薬売りの連中と調所のオッサン(調所笑左衛門)の関わりだって?

ははあん、それで今日は昆布巻きってえワケかいいずみサン。

ようござんしょ。

じゃ、ちょいとお耳を拝借しますぜいずみサン。

いずみサン、調所のオッサンはな、富山の薬売りの連中を薩摩藩の財政建て直しのために利用したのよ。

薩摩は幕初から国境を閉ざしててな。だから薩摩はよそからは「二重鎖国」ってえ呼ばれてた。

そこへだいずみサン、商魂たくましい富山の薬売りの連中が商売に「ちゃれんじ」したってえワケだ。販路を目一杯で拡げて商売を大きくしようと考えたんだ。

しかしまあ、そこは「二重鎖国」の薩摩のこった。そう簡単にゃあ商売させてくんねえのよ。ちょこっと薬物販売の許可が出たと思うと、すぐに差留(差し止め)になっちまう。こんな状態が何十年も続いたんだ。

ところが、調所のオッサンが勝手方(財政担当)の親分になってから事情が変わるんだ。

いずみサンも知っての通り、調所のオッサンは財政建て直しのためには何でもやった。借金の踏み倒し、抜け荷(密貿易)、テンプラ(偽造小判)、これで薩摩藩財政を建て直した。

その建て直しの一環でだいずみサン、調所のオッサンは蝦夷(いまの北海道)の昆布に目ェ付けた。蝦夷の昆布は陸奥(東北地方)のコメとおんなじで高く売れた。

しかしだいずみサン。さすがに薩摩から蝦夷へ船は出せねえ。出したとしても昆布売れたところで大赤字だ。そこで調所のオッサンは富山の薬売りの連中に目ェ付けたのよ。

調所のオッサンはな、薬売りの連中に「蝦夷行って、昆布採って来い」って。薬売りの連中は薬は商っても昆布なんか売らねえ。みんな目ェぱちくりしてキョトンとしちまった。

そこで調所のオッサンが続けるんだいずみサン。「昆布採ってくんのと引き換えに、商売の差留は無しにしてやる」って。昆布採って来るんなら薩摩で薬売ってもいいぜって取り引きしたのよ。

薬売りの連中は蝦夷まで行って昆布を大量に採って来た。その昆布を薩摩藩は高値で売りさばいて藩庫の足しにした。薩摩藩はずいぶん潤ったんだぜ。

いずみサン、調所のオッサンも「見返り」を忘れちゃいなかった。抜け荷で手に入れた異国の薬を富山の連中に分けたんだ。この頃から富山の薬は「れべるあっぷ」したんだぜいずみサン。

調所のオッサンが自害したあと、薩摩藩と富山の薬売りの連中はいっとき冷え込んだんだがな、薩摩としちゃあこれまで通り昆布が欲しいし、富山の連中は異国の薬が欲しい。ま、利害の一致ってえヤツだな。薩摩藩と富山の連中の付き合いは御一新まで続いたのよ。

にしんは昆布巻き。

鯛は昆布〆。

昆布はうめえし縁起モンだ。

いずみサン、また。