もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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いずみ江戸日記/清水一学

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白海老をたまねぎとかき揚げにしたんですかい、いずみサン?

で、こいつは天つゆじゃなくて塩つけて食うんですかい、いずみサン?

いずみサンはときどき面白えモンつくるんだなァ。

こんなうめえかき揚げ食わせてもらったんだ。

今日はどんな話でもしますぜいずみサン。

へ?

清水一学?

いずみサン、チャンバラがお好きで?

ま、以前からいずみサンは変わったお嬢さんだってわかってやしたから。

ようござんしょ。

じゃ、いずみサン、ちょいとお耳を拝借しやすぜ。

清水一学の本名は清水藤作。百姓の伜だった。

藤作は三河国(いまの愛知県)幡豆郡の宮迫(みやば)ってえ村の百姓の家の子に生まれた。幡豆郡ってえのは吉良のジイサン(吉良義央)の領地だ。

あれァ確か藤作が15ンときだったな。吉良のジイサンが領地の視察にやって来たときに藤作を吉良家の小姓にしたんだ。百姓の伜が高家の御小姓だ。いずみサン、藤作が並のボウズじゃなかったってえのは、これでわかるだろ?

じゃ、藤作はどこで剣術を?

いずみサン、ありゃあな、後世の奴等の作り話よ。

藤作は15で江戸へ行くまで真面目に畑仕事一筋だった。そんなボウズが剣術なんざ学ぶヒマは無えし、そもそも綱吉公の時代に剣の腕なんざどこのお大名も求めねえや。

じゃ、何で剣客のように描かれたのかって?

いずみさん、藤作は他の吉良邸にいた連中と違って正真正銘吉良家の家臣よ。討ち入りに備えて吉良家じゃ3,000石の身代とは思えねえくらいお侍がうじゃうじゃいたが、ありゃあほとんどがいずみサンの時代で言う「上杉からの出向社員」よ。藤作はそんな連中とは違う。何せ、吉良のジイサンは百姓の自分を高家の小姓にしてくれたんだからな。

いずみサン、いずみサンの時代の「どらま」の台詞に「御家が大事か、主君が大事か」ってえ出てくんだろ?藤作は「御家か主君か」って聞かれりゃあ迷わず「主君だ」ってえ答えるヤツだぜ。

で、12月14日だ。

大石様は討ち入りしなすった。

討ち入りしたはいいんだが、屋敷の内を隈無く探しても吉良のジイサンが見つからねえ。米沢に逃げられたら今日までの苦労が水の泡になっちまう。

いずみサン、吉良のジイサンはとっ捕まるちょっと前まで屋敷の内のお勝手(台所)の奥に藤作たちと一緒に隠れてたんだ。でもよいずみサン、やっぱり赤穂のご浪人はお勝手まで探しに来るんだよ。

お勝手は討ち入りに備えて改造してあった。改造って言ってもお勝手の中に仕切りの壁を一枚つくっただけなんだがな。

その仕切りの壁を、間サン(間 十次郎)と安兵衛サン(堀部安兵衛)が打ち壊してお勝手に乗り込んだ。

藤作は吉良のジイサンをお勝手の裏から逃がすと、安兵衛サンたちに皿やら茶碗やらを投げつけて時間稼ぎした。で、投げる物が無くなったとき、藤作は叫び声あげて安兵衛さんに斬りかかった。

安兵衛さんは藤作を一太刀で仕留めた。藤作は百姓の伜だ。チャンバラなんざやったことも無え。そんでもいずみサン、藤作は吉良のジイサンのために持ったことも無え刀握って安兵衛サンに向かって行ったんだ。

オレたち江戸っ子はたとえ敵役でも認めりゃいくらでも贔屓する。藤作は忠義の心を持った吉良家家臣・清水一学として藤作を語り継いでいったのよ。しかもいずみサン、藤作はあの堀部安兵衛に斬りかかって死んだんだぜ。だから後世の連中は藤作を「呑兵衛安」と戦った剣客・清水一学に仕立てあげたのよ。

吉良邸で討たれた連中は、あとでみんな幡豆郡の吉良庄に墓ァ建ててもらったんだがな、何せ吉良のジイサンは敵役だ。墓ァ荒らすヤツ、遺族に嫌がらせするヤツがいっぱいいてな。だから遺族が墓から戒名削って誰の墓かわかんねえようにした。

そんな中でいずみサン、藤作の墓だけは荒らされずにきれいに今も残ってる。たとえ敵役でも藤作のような「忠臣」にゃあ絶対に手ェ出さねえ。これがオレたちの時代の流儀だ、いずみサン。

ま、アレだないずみサン。

赤穂のご浪人が忠臣なら、藤作もまた忠臣だったってえこった。

うめえかき揚げだった。

これなら温けえ蕎麦に入れてもうめえかもな。

いずみサン、また。