もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

いずみ江戸日記/義士切腹論

f:id:Hanzoandmozu:20191207182517j:plain

おっ、今日は月見そばに焼いたねぎが入ってらあ。

いずみサンはいつも面白れえモンつくるなあ。

荻生徂徠

ああ、いずみサン、昨日が清水一学だから今日も忠臣蔵ですかい。

ようござんしょ。

じゃ、ちょいとお耳を拝借しやすぜいずみサン。

荻生のオッサンは美濃守様(柳沢吉保)お抱えの学者だ。

いずみサンは「義士切腹論」のことを言ってるんだろうが、ま、こいつァ荻生のオッサンにも立場があるからなあ。

いずみサン、確かにいずみサンも知っての通り、江戸っ子たちはみんな「義士赦免論」一色だった。そりゃそうだ。江戸っ子はみんな浅野贔屓だ。口ィ開きゃ「賄賂、賄賂」って抜かす因業ジジイの吉良のジイサンを斬ったんだから江戸っ子みんな拍手喝采よ。

でもよいずみサン、みんながみんな拍手喝采したワケじゃねえんだよ。

いずみサン、弾正大弼様(上杉綱憲)の御正室紀州の栄姫様だぜ。栄姫様は光貞公の娘、綱教公の姉さんだ。その弾正大弼様の実父は吉良のジイサンだ。てめえの娘の舅が首もがれたんだ。そりゃ光貞公はカンカンよ。そんなワケで上杉だけじゃなくて紀州藩からも幕府に苦情が出た。

紀州藩は御三家だ。御三家からの苦情は無視出来ねえ。しかも綱吉公の娘っ子の鶴姫様は綱教公のカミさんだ。が、江戸っ子も江戸城内も赤穂贔屓で染まってる。美濃守様は困っててめえンとこのお抱え学者の荻生のオッサンに相談した。で、荻生のオッサン、美濃守様に「上様に直接申し上げます。お取り次ぎを」ってな。

荻生のオッサンは綱吉公を眼の前にして「浅野は吉良を殺そうとしましたが、吉良は浅野を殺そうとはしていません」って、こう言った。これで綱吉公は決断しなすった。「赤穂の浪人は全員切腹。ただし、吉良義周も御家断絶」ってな。

幕府の中にも「義士赦免論」があった。大学頭様(林 信篤)がその筆頭だな。でもよいずみサン、幕府の大学頭よりも大老側用人のお抱え学者のほうが偉いってえのが綱吉公の時代だった。

結局、大石様以下46人は全員切腹、親類縁者も遠島等の処罰を受けた。

そりゃ、いずみサンの言いてえこたァわかるんだ。「理屈は正しくても、感情として納得出来ねえ」いずみサンはそう言いてえんだろ?

ただな、いずみサンの時代の「るーる」もそうだろうけど、守って初めて法度としての効力があるのよ。

でもまあアレだな。法度にせよ「るーる」にせよ、その事件一つ一つに合わせた幅のある用い方があってもいいかも知れねえな。

綱吉公が薨去なさると、赤穂のご浪人の親類縁者は全員赦免された。浅野様の弟の大学様(浅野長広)も安房国(いまの千葉県)のうちに500石与えられて旗本として家名再興よ。

そっからさらに7年経って吉宗公が将軍職にお就きになると室 鳩巣サンが幕府の御用学者になった。吉宗公も室のオッサンも赤穂贔屓。綱吉公亡きあとは幕府もみんな赤穂贔屓よ。

いずみサンから見たら荻生のオッサンは冷てえイヤ~な学者かも知れねえが、あのオッサン、なかなか面白れえ人でな。物部の子孫だから、親しい連中からは「物徂徠(ぶつそらい)」なんて呼ばれてたのよ。

豆ェ食いながら歴史の話すんのが大好きでな。で、豆ばっか食うからしょっちゅうブーブー屁ェこいてた。さすがに綱吉公の御前でブーッとはやらなかったみてえだけどな。

月見そばに焼いたねぎ入れただけで、こんなにウマくなる。

赤穂のご浪人はかけそばだったが、オレァこのねぎの入った月見そばが気に入ったぜ。

いずみサン、また。