もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/浜御殿の浮気-徳川綱豊といつき-

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水戸のジイサン、今日は弥七に山ほど焼きさばを持たせて来やがった。

さばはオイラも大好物だが、こんなにいっぱい食うと飽きてくらァな。

何だオイ、麻由坊じゃねえか。

どうせまたどっかのお大名の切腹の話でも聴かせろって言うんだろ?

ああわかった。

じゃ、今日は話してやるからこのさば食べるのおまえも手伝え。

ん?

麻由坊、おめえンとこの長屋にいる徳次郎サンが浮気したって?

で、おめえは徳次郎サン夫婦が誰の目からみてもおしどりなのにどうしてこんなことになったのか不思議だって言いてえのか?

ま、アレだ麻由坊。

世の中にはそんな話はゴマンとあらァな。

家宣公と天英院様(近衛煕子)がおしどり夫婦だったってえ話は前にしただろ?

ところがだ麻由坊、家宣公も将軍になる前に一度だけ浮気をしてるのよ。

あれァまだ家宣公が綱豊様って名乗ってた頃だったな。築地の南っ側に浜御殿ってえ甲府藩の御殿があった。

その御殿の管理を任されてたのがいつきってえ若くてピチピチしたお嬢ちゃんよ。麻由坊にわかりやすく言やあ、こう、からだつきがな、ムチムチしてやがってな。二の腕や太ももなんかがはちきれそうな感じでな。ま、オレたちオトコからみたら「そそる」からだをしたお嬢ちゃんだった。

ある日のこと、綱豊様が浜御殿に出掛けられた。そこへ、茶を持って現れたのがいつきだった。

綱豊様だってオトコだ。ただ、身分が徳川一門ってえだけの話で、股ぐらの御珍宝はオレたち庶民とおんなじよ。

綱豊様はいつきのからだを見てムラムラしちまった。で、抱いちまった。ガマン出来ねえのは甲府35万石のお大名もオレたち庶民も御珍宝のつくりがおんなじだってこった。

それからだ、麻由坊。

綱豊様はヒマを見ちゃあ浜御殿に入り浸った。無論、「お目当て」と会うためだ。

しかしだ麻由坊、おめえの時代と違って、オレたちの時代は「こんどおむ」ってえのが無かった。そうなると、いつきが身ごもるのは時間の問題だったのよ。

案の定、いつきは身ごもった。

ここからが綱豊様の面白れえとこでな、麻由坊。いつきの懐妊を知った綱豊様は「おまえを側室にする」って言って桜田甲府上屋敷に連れて帰った。

綱豊様は煕子様に「このおなごはワシの子を身ごもった。だから側室にする」ってわざわさ挨拶したのよ。大したモンだ。身ごもっても身分を理由に放ったらかすお大名が多いのにな。

ま、違う言い方をすれば、それだけいつきのからだが良かったってことよ。

またそれを笑って認めた煕子様もやっぱり器が大きいな。煕子様は綱豊様の上品で優しいところが好きだったが、上品で優しいってこたァ相手を気遣って物事をはっきり言わねえってこった。

煕子様はそこを気にしててな。「綱豊様は、心から私に打ち解けていない」ってな。

が、このいつきの一件で煕子様は「殿は正直に話してくれた」ってホッとした。そしてその安心感が、綱豊様ご夫婦が本物のおしどり夫婦になるきっかけとなったのよ。

ただな麻由坊、残念なことにいつきは難産でな。母子もろとも死んじまった。宝永7年の7月25日のこった。

綱豊様も煕子様もえれえ悲しんだ。

いつきは向島常泉寺に葬られたんだがな、他の側室と違って墓石に葵の御紋を彫ることを許された。これは煕子様からの「ごーさいん」が無けりゃ出来ねえこった。

いつきはな麻由坊、おめえの時代の言葉で言う「健康美」だった。「健康美」とは程遠いお大名やお公家様の姫君なんかよりずっと魅力的だったんだろうぜ。

ま、これが家宣公浮気の一件よ。

征夷大将軍でさえこうなんだ。徳次郎サンだって間違いをしでかすってモンよ。

麻由坊、このさばは一日で食いきれねえから、明日また食べに来い。

麻由坊、またな。