もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/竹姫

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時間が経った焼きさばはもう一度火を通して酢しょうゆよ。

で、上からすだちをたっぷりかけるんだ。

おい麻由坊、おめえは今日もさば食うの手伝うんだぞ。

で、おめえ、今日はどこのお大名の切腹の話を聞きてえんだ、麻由坊?

へ?

竹姫様?

おいおい麻由坊、あんまし突飛なこと抜かすなや。

あのお方の話となりゃあ、迂闊に喋ったら奉行所にしょっぴかれるぜ。

まあでも今日は弥七がいるし、話してもいいか。

竹姫様はもとは清閑寺大納言煕定様のお嬢さんでな。で、このお嬢さんの叔母さんが大典侍の方って言って、綱吉公の側室よ。

典侍の方は綱吉公のお気に入りでな。ただまあ、綱吉公と大典侍の方の間に子供ができなかった。

典侍の方は「淋しいから、養女が欲しい」って言い出した。そンで姪っ子の竹姫様を養女にしたのよ。

で、ここからだ、麻由坊。

竹姫様は大典侍の方の養女になったんだがな、同時に綱吉公の養女にもなったんだ。おったまげたぜ、まったく。

ま、これはアレだァな。それだけ綱吉公が大典侍の方を愛してたってことよ。

綱吉公はこのかわいい養女の嫁ぎ先に会津藩を選んだ。会津中将松平正容様の御嫡男・久千代様よ。

ところが婚約してすぐあとに久千代様が急にぽっくり逝っちまった。

次に家宣公が選んだのが宮様で、有栖川宮の正仁殿下だった。

しかしまあ、竹姫様はよくよく運の悪いお方でな。正仁殿下もまた、結納のあとに御隠れあそばした。

綱吉公の養女として御城(江戸城)に入った竹姫様も気づいて見りゃあ綱吉・家宣・家継と三代も代替わりしててな。いつしか御城の連中からも忘れられてたのよ。

そこに、紀州から吉宗公が御城に入られた。

吉宗公は大奥で御城にいる徳川一門と御対面があったんだがな、そこで会った竹姫様に一目惚れよ。

それから10年以上、この二人の関係は続いたんだ。

10年も関係が続きゃあ、「いっそのこと側室に」って話にならねえほうがおかしいわな。てなワケで、吉宗公は大奥の親玉たる天英院様(近衛煕子)に「竹姫を側室にしてえ」ってはっきりとおっしゃられた。

天英院様は目ン玉ひん剥いてお怒りなされてな。「たとえ直接血の繋がりが無くとも、竹姫は系図のうえでは上様の大叔母。人倫の道にもとりまする!」って一喝された。

天英院様にダメを出されちゃ吉宗公も諦めるしか無えわな。で、竹姫様の三度目の婿さん探しが始まるんだが、こいつが上手くいかねえ。

そりゃそうだ。10年以上も将軍とチョメチョメしてたお姉ちゃんなんざ、どこのお大名もお公家さんもお断りよ。

結局、島津の継豊様に頭ァ下げて引き取ってもらったのよ。

島津では幕府にあれこれ条件付けて困らせたんだがな、吉宗公は条件全部飲んで竹姫様を継豊様の正室にしてもらったんだ。しかもそれは後添えで、先に死んだ正室との間に男子がいるから竹姫様が男子を生んでも薩摩77万石は継がせねえって話だった。

思えば、竹姫様も不幸な姫君だわな。二度も許婚に死なれて、三度目は厄介払い同然で薩摩行きだ。

これがお大名の家のお姫さんとなると、もっとひでえ話がいくつもある。

人一人がしあわせになるってえのは、難しいモンだなァ…

まだまださばが余ってるから、おまえ、持って帰って食え。

麻由坊、またな。