もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/井伊直朝一件

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夏至に南瓜食うのは、奈穂子サンの時代の話だろう?
あれァな、秀忠公の御代に御大老土井利勝)がルソンから仕入れたんだがな、どうやって食ったらいいかわからねえ。
で、御大老は南瓜を生のまんま齧った。そんで御大老は「苦いばっかであまりおいしくないのう」なんて言いやがる。
もともとカンボチャ(カンボジア)ってとこで穫れてた瓜だから「南瓜」って当て字して「かぼちゃ」って読ませたのよ。



奈穂子サンには今までいろんなトンチキの話をして来たが、今日もまたトンチキお大名の話でさあ。
井伊伯耆守直朝様。
このお方は遠江掛川3万石の御譜代だ。
血筋は良かった。
何せ、あの井伊直政様の御子孫だ。
ところがだ、この直朝様はトンチキお大名だったのよ。
直朝様の親父の直武様もダメオヤジでな。朝は朝酒、夜は侍女をひっかえとっかえ閨に入れた。そんなこったから藩主の座に飽きちまって、さっさと直朝様に家督を譲った。
直朝様は直武様と違って朝酒やら閨のほうはひどくなかったんだがな、奈穂子サンの時代で言う「神経質」ってヤツだった。人付き合いがダメだったんだろうな、きっと。掛川に帰ると元気になるんだがな。
オレたちの時代はお大名であれ下っ端藩士であれ、武士階級はみんな「すとれす」が大きかった。下の者は上の者にペコペコしなきゃなんねえし、人付き合いも大変だった。奈穂子サンの時代にも「すとれす」でイカレちまうヤツがいるんだろうけど、それはオレたちの時代もおんなじよ。
掛川藩井伊家は彦根藩のご分家だ。3万石とは思えねえくらいの人付き合いがあった。人付き合いの数だけ気遣いや気苦労がある。
直朝様はそういうのが苦手だったんだろうなァ。江戸にいりゃあイヤでも人付き合いは付いて回る。「神経質」の直朝様にはツラいツラい毎日だったろうぜ。
で、とうとう直朝様は「すとれす」で発狂乱心しちまった。
あれァ宝永元年のことだったな。直朝様はこの年、江戸への参勤をしなかった。家老連中は幕府に「殿は病気です」って手紙書いてな。それで誤魔化そうとしたんだ。
そのへんの3万石の大名ならそれで誤魔化せたんだろうけどな、何せ井伊家は名門だ。綱吉公が心配してお役人を二人、掛川に遣わした。
家老連中は「これでおしまいだ」って目の前が暗くなった。お役人は掛川城の直朝様の寝室に上がり込んだ。
お役人が襖開けたらな、直朝様が寝床の上ですっぽんぽんになってヘンテコな歌ァ歌いながら踊ってやがった。
お役人は江戸に帰ってありのままを綱吉公に御報告よ。トンチキはお取り潰しだ。そいつは奈穂子サンもよく知ってるはずだぜ。
ただ、綱吉公は直朝様の御先祖が「赤夜叉」直政様だってことで掛川3万石を取り上げて、改めて越後与板に2万石を与えて井伊家を存続させた。
ま、アレだ。
すっぽんぽんでヘンテコな歌ァ歌いながら踊ってた直朝様もトンチキだが、「鳥も魚も食っちゃならねえ。野菜だけ食ってろ」って言ってた綱吉公もトンチキなんだがな。



讃岐じゃ夏至の日にうどん食うって言うじゃねえか。
おっと、うどんで思い出したが、平賀源内先生は讃岐のお生まれでな。
平賀先生の話はこの次だ。
奈穂子サン、また。