もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/大岡忠光

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こう暑い日が続くと、心太がやめらんねえな。

さっきから弥七と食い続けててな、もう何杯食ったか忘れちまったよ。

大岡出雲守忠光様。

家重公の側用人でさあ。

家重公は奈穂子サンも知っての通り、言葉がちょいとアレでな。奈穂子サンの時代で言う「言語障害」ってえヤツだった。

その「言語障害」の家重公の言葉を唯一理解出来たのが出雲守様だった。だから側用人にまで出世したんだがな。

吉宗公が和歌山から江戸入りする際、吉宗公は相模守様(土屋政直)以下老中職や御譜代の連中に「側用人は廃止する」ってえ約束したんだがな、結局約束は30年で反故にされた。ま、どうしても吉宗公は一番愛したお須磨さんの生んだ家重公を将軍にしたかったんだから仕方ねえわな。

しかしまあ、言葉がダメじゃ将軍職は務まらねえ。そンで仕方なく吉宗公は出雲守様を側用人に起用した。これなら家重公の言葉がダメでも政事は停まらねえ。

もともと側用人なんて「ぽすと」は幕府にゃ無かったんだ、奈穂子サン。こいつは綱吉公がてめえの都合でつくった「ぽすと」でな。

最初、美濃守様(柳沢吉保)が、家宣公のときに越前守様(間部詮房)が側用人におなりなすった。それまでは幕政(国政)は老中職の面々の合議制のもとで将軍が決裁する仕組みだったんだがな、側用人を置くようになってからは何でも側用人と将軍で決めるようになった。

奈穂子サン、側用人はな、御譜代からじゃなくててめえの地元から連れてきたヤツが登用されたんだ。美濃守様は館林藩の家臣だし、越前守様は甲府藩の家臣だ。

御譜代の連中だって「オレたちだって権現様以来代々仕えて来たんだ」ってえ意地がある。そんで相模守様が吉宗公と取引したんだ、「八代将軍は側用人廃止と引き換えだ」ってな。

吉宗公は権現様を心の底から尊敬なすってたからな。だから御譜代の連中を大切にしたんだが、ま、お須磨さんの「忘れ形見」にゃ勝てなかったってえワケだ。

吉宗公が側用人を嫌った理由の一つに「賄賂」があった。吉宗公は汚ねえのやイビツなのは大嫌いだからな。

残念なことなんだがな、吉宗公の心配は図星になっちまった。出雲守様は賄賂を取って役職の世話をするようになった。だから出雲守様は「官職周旋屋」ってえ陰口叩かれた。

出雲守様が言うにはな、「賄賂は便宜にしくじったときに返しゃいいんだ。しくじったときに返さないから汚いゼニになる」ってことなんだがな。ま、賄賂にも「流儀」ってえモンがあるって言いてえんだろう。

この「賄賂の流儀」は出雲守様の死後、右近将監様(松平武元)を経て田沼のオッサンまで引き継がれたんだ。しょうがねえなあ。

家重公は癇癪持ちでな。いっつもしかめっ面で機嫌が悪いと周りに八つ当たりしたんだが、出雲守様が来ると途端に笑顔になって機嫌が直ったんだ。

ま、幕府にはこういう人間も必要だったんだろうぜ。たかだか200石だか300石だったのが、将軍の言葉が理解出来るってんで武蔵岩槻2万石の城持大名まで御出世だ。世の中何が一芸になるかわかんねえモンだな。

心太のからしは忘れちゃいけねえよ。

奈穂子サン、また。