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【みんな生きている】日比谷公会堂(9)/中山恭子編

中山恭子(次世代の党拉致問題対策本部長。元拉致問題担当大臣


■外務省が中心となった国交正常化のための交渉を変えるべき

私たちの党は、平沼赳夫党首を初め、小さい党ですが、全員拉致被害者救出に向けて熱い思いを持った政治家の集団です。
今日はお忙しい中、国民大集会にご参加いただき、ありがとうございます。また今日も、地方議会の皆様がたくさんご参加いただいています。これも非常に心強いありがたいことと思っています。
そして私はいつも、櫻井よしこさんが、何もおっしゃらずに常に拉致被害者の家族の方々と一緒になって、この大集会をしてくださっていることに、心から感謝の念が湧いてくるところです。よしこさんありがとうございます。

ストックホルム合意で拉致問題は「おまけの扱い」]
今日は党の方針というより、私個人の考えになるかもしれません。今の拉致問題に対する動きを非常に残念な思いで見ています。せっかく拉致被害者救出に熱い思いを持っている安倍総理のもとで、拉致被害者救出の積極的な動きがあってよいはずだと思っておりますが、昨年1年間の動きをみていますと、その1年間を冷静に客観的に振り返ってみますと、昨年5月29日にストックホルム合意がありました。
先ほど、松原先生からもお話がありましたが、このストックホルム合意では北朝鮮に監禁されている拉致被害者の救出は主要なテーマになっていません。外務省の説明では、国交正常化交渉において遺骨の話や日本人花嫁の話が進展する中で、拉致問題が置き去りになってはならないということで、拉致問題もしっかり含めましたよというのがストックホルム合意の中身です。
拉致被害者救出がメインテーマではなく、「入れてあげましたよ」と付属的なことがらとして扱われていました。非常にびっくりしましたし、あってはならないことだと感じました。

[相手が何もしないうちから制裁解除とは何事か!]
さらに昨年7月には、国連が核・ミサイルに関してとっている北朝鮮措置に加えて、日本が拉致問題を進展させるために独自で課している制裁措置を、「日・朝交渉が続けられなくなると困る」という理由で一部解除しました。
これも拉致被害者救出のめどが立っていない。北朝鮮から被害者のリストが出されたわけでもなく、被害者の現状について何の知らせもない中で、拉致被害者救出のためにかけた制裁措置を解除した。これも、あってはならないことだと考えています。
10月に再度制裁を課す必要があったと考えています。10月になってやっと安倍総理の指示で、日本にとって拉致問題が最重要課題であると北朝鮮に伝えに訪問に行ったというありさまです。それまで最重要課題として拉致問題が扱われていなかったという証のような状況です。
私たちは、国交正常化は拉致被害者の帰国があって初めて行うのが日本政府の方針だと思っていました。しかし、安倍総理のもとにある今の政府の考え方や行動はちょっと違っていると言っていいのだろうと思っています。国交正常化のためには拉致被害者が犠牲になってもしょうがないという従来からの考え方が相当部分、支配しているように見えてなりません。

[ヘッピリ腰の施政方針演説にダメ出し]
今年1月の総理の施政方針演説を聞きました時にも、総理は昨年の施政方針演説では、「すべての拉致被害者の安全確保及び即時帰国に向けて全力を尽くしてまいります」とおっしゃっていました。ところが、今年の施政方針演説では、「拉致問題について北朝鮮は迅速な調査を行い一刻も早く、すべての結果を正直に通報すべきであります」と述べられただけで、被害者の救出や帰国については一言も触れておられませんでした。
調査報告ではなく被害者の帰国が主要なテーマでなければなりません。
被害者を解放すると北朝鮮に決断させなければならない。リストが出てくるか、現状が知らされないと拉致被害者救出につながりません。
私から総理にこのことを質問しました。被害者の救出について、「熱意を失っていない。必ず連れ戻す」というお答えをいただきました。総理がしっかり拉致被害者の帰国に向けて強い思いをお持ちだということは、今日のお話でもはっきりと見てとることができます。それにも関わらず、政府が行ってきていることは、総連問題も含めて、どう見ても、被害者救出に向け集中して、一体となって動いている様子が見えないんです。非常に残念なことだと思っています。

拉致問題のプロ集団が被害者救出作業をしろ!]
その意味で、これからの北朝鮮との対応には、私は、被害者救出だけをテーマにした話し合いをしてもらいたい。国交正常化は、被害者が帰国した後で進めればいい。その前に、外務省が中心となった国交正常化のための交渉ではなく、被害者救出のプロの人たちによる作業が必要だと考えています。
是非、今の政府の中で、これはある意味で国内問題かもしれませんので、政府の中でその点をしっかり、もう一度確認していただき、被害者救出、帰国、身の安全確保に的を絞って政府に動いてもらいたいと、祈るような気持ちでいるところです。

[まだ、希望はある]
今日、ここにお集まりの皆様は、私から何か言う必要のない方々ばかりですが、この状態の時、一番力がある、頼れるのは世論です。どうぞ皆様、政府に向けて、拉致被害者救出に焦点を絞った政策を取ってほしい、安倍総理のおっしゃっていることを政府としてその通りに動いてもらいたいということを、政府に向けて強く要求していただきたいと思います。
まだ、希望はあります。必ず救出できるはずだと考えています。今日は、この大会を機に、非常に重要な日になると思っていますので、被害者救出に向けての、改めての第一歩が今から始まってほしいと思っています。
どうぞこれからもお力添えを宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.