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【みんな生きている】日比谷公会堂(8)/柿沢未途編

柿沢未途拉致議連副幹事長。維新の党政調会長


北朝鮮は広範な人権侵害を行っている国家

みなさん、こんにちは。
国民大集会にご参集の皆様方、本当にお疲れ様です。
わが党も昨年9月に、新たに結党されましたが、拉致問題対策本部を設け、今取り組みを進めています。

[「夏の終わりから秋の初め」って言ってたのはどうした]
「夏の終わりから秋の初め」。こういう話は一体、どこに行ってしまったのでしょうか。やはり、制裁のあり方も含めて、私たちも北朝鮮という国に対する向き合い方を考える必要が出てきているのではないかと思います。
そして北朝鮮は、最近の報道によると、この段階で20発もの核を持ち、ミサイルを持って、この日本も含めて世界に向けてこのような体制をしいているわけです。

[広範な人権侵害をしている北朝鮮について発信していく]
そして国内でも、自国民、また自らの政府高官に対して背筋も寒くなるような、凄惨な粛清を行い、自国民を強制収容所に入れる。こういう広範な人権侵害を行っている国家です。国連の報告書でも、そのことは「人道に対する罪」とされている。
こうした状況の中で、この拉致問題も含めて、まさに北朝鮮という国家が国家として存立しているということ、そのこと自体が世界に対する、また人間に対する脅威である。このことを、世界に対して、拉致問題の被害者である私たち日本が、また日本人が発信をしていかなければならないと思っています。
そうした気持ちを強く持って、そしてオールジャパンという言葉のもと、日本全体が、日本人が一丸となってこの取り組みを進めていくことが以前にも増してさらに大切になっていると思います。
飯塚代表初め、家族会の皆さん。本当に長年の取り組みに対して、すばらしい、大きな成果を勝ち取ることができるよう、私たちも手を取り合って邁進していくことをお約束し、そして会場の皆様方も、これからもご支援を賜りますよう心からお願いしまして、ご挨拶といたします。
みなさん頑張りましょう。
ありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.