もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(7)/中山恭子編

イメージ 1

中山恭子日本のこころを大切にする党代表、元拉致問題担当大臣

■日・朝国交正常化交渉の前に被害者救出の交渉を

今日このように多くの皆様が、拉致問題拉致被害者救出のためにお集まりいただき、ありがとうございます。
3つの点についてお話したいと思っています。
今松原先生からお話がありましたストックホルム合意、この外交交渉を北朝鮮と日本が行っている。これはもちろん大事なことですが、日本の場合には拉致被害者が監禁された状態で北朝鮮にいるということをしっかりと念頭に置けば、北朝鮮と友好関係を結ぶ前にこの被害者を必ず解放せよという交渉を行うことが当然であると考えています。
独立国家であれば、日本国の国民が外国で被害に遭っているという場合、日本国は必ずその日本国民を救出するということを、国として明確に打ち出すのは当然のことです。
日本では大戦の後、日本国民を救出する、国を守る、国防をするというようなことを、言葉に出すことすらタブーでした。今やっとこの拉致問題が公になって、「やはりそうじゃない」、「独立国家であれば日本国民が拉致されたら国家として当然救出するのだ」ということを、はっきりと言葉に出して言えるようになりました。
この拉致問題では、被害者の方々、ご家族の皆様、本当に大変な思いをしていらっしゃいますが、日本国に対し、または国民の皆様に対し、日本の国が独立国家であることを思い出させてくれたことだと思います。
松原先生が、ストックホルム合意破棄せよとおっしゃいました。実はこのストックホルム合意は平壌宣言にのっとって合意されたものです。安倍総理も先ほど、「平壌宣言にのっとって進めていく」とおっしゃいましたが、この平壌宣言こそ、日本と北朝鮮との間で、拉致問題をあの2002年の段階で終局させるための宣言でした。
5人が生存していることを日本の人々に見せる。それだけで後は全員死亡しているか後は北朝鮮にいないことを両国で認め、さらにこの平壌宣言の中で、拉致という単語が出てきません。
どこに入っているのかと確認したところ、「懸案事項」という単語の中に拉致問題が含まれているというのが、当時の外務省の説明でした。そしてこの懸案事項について何と書いてあるか。拉致問題について、生存者の救出を行うことは一切書いてなく、「北朝鮮は今後このようなことを行いません」と。そしてこれまで拉致した人々については、「何の問いかけもしません」ということが宣言されているものなんです。
従って、「平壌宣言にのっとって」外交交渉を進める場合、拉致被害者救出置いう概念は入ってきません。そこをしっかりと私たちは認識していく必要がありますし、政府の皆様、国会議員の先生方にも、ストックホルム合意がのっとっている平壌宣言自体が、あの段階で既に過去に行われた拉致被害者を犠牲にしてもしょうがない、そういった宣言であるということを確認、認識しておく必要があると考えています。
ではどうしたらいいのか。これまで数年にわたって外務省が日・朝外交交渉を一生懸命やってくださっています。外務省の方々を責めるつもりはありません。外務省は、日本国憲法にのっとって各国と友好関係を結んでいくための仕事をしているわけですから。
ただ、拉致被害者がいる限り、独立国家としてこの人々、私たちの仲間を、同胞を必ず救出する。これが外交交渉の前になければならないということですので、「外務省の友好関係を作っていくための交渉は、被害者が救出されるまで待ってください」ということをずっとお願いしてきました。
安倍総理は本当に拉致被害者を何としても救出したいと思って、これまで動いてくださっていることを、私たちはよく分かっています。そこに平壌宣言とか日・朝国交正常化というようなことが紛れ込んでしまうと、安倍総理のご判断に間違いが起こる。ミスリードしないでもらいたいということを、今心から願っています。
今やらなければならないのは、加藤大臣を中心にして、または安倍総理が信頼する方を核に置いて、拉致被害者救出のための活動をまず行う。日・朝国交正常化のためにこれまで何年もの時間が無駄になってきている。本当に残念なことです。
今こそ是非、政府の方々、そして自民党の先生方に拉致被害者救出のために何をしたらいいか、これは外交交渉ではなく、救出のための交渉です。交渉するなと言っているわけではありません。交渉も重要な一つの手段です。被害者救出の交渉に集中して進めていただきたい。これを祈るような思いでお願いしているところです。


■拉致の交渉は核・ミサイルより最優先で

また、これまでにも何度もお話が出ていますが、核・ミサイル、北朝鮮が夢中になってここに集中して仕事をしている。この問題が出てきている中で、ミサイルが一発日本に飛んできて被害が出たら、何千人もの人に被害が及ぶかもしれない。そんな中で、拉致問題だけやれと言っている場合じゃないじゃないか。そういうような動きが最近各地で、色んな部署で感じ取ることができます。
しかし、ミサイルや核を抑制する交渉や作業と同時に、今日の決議案を読んで、「これはありがたい」、「是非そうしてもらいたい」という思いがあるのは、「全被害者救出のための協議を行うことと、ミサイルや核を抑制することは矛盾しない」と書いてあります。
まさにその通りだと思っています。核やミサイルを抑制するための動きを徹底して行うことは当然ですが、その中で被害者救出の交渉を行っていくことは、決して矛盾しない、やり得ることだと考えておりますので、政府の皆様に、核・ミサイルの方に紛らわされることなく、被害者救出について、現に向こうで監禁されている日本人がいるんですから、このことについては最優先で進めていただきたいと思っています。
また、先ほど加藤大臣が非常に心強いお話をしてくださいました。「死亡しているということを一切受け入れることはしない」とおっしゃってくださいました。
死亡しているのではないかという心配が多くの方々の中に、核・ミサイルの問題と絡んで出てきている可能性があります。
しかし、その証拠が一切ない限り、私たちは生存しているという前提で救出に当たる必要があると考えていますので、必ず向こうで生存している拉致被害者がたくさんいる。救出しなければ独立国家としても恥ずかしい。そういう思いで事に当たっていただきたいと考えています。


北朝鮮が内乱状態の時、自衛隊が救出に入れるよう法改正を

予算委員会で、「北朝鮮の中で動乱、内乱状態が起きたような時、日本から自衛隊は救出に入ることはできますか」という質問をしました。安倍総理から、「極めて残念なことだけれども、できない」というお答えがありました。
「ではどうするんですか」と聞きましたら、「アメリカか韓国の軍隊に入ってもらって、国境まで被害者を連れてきてもらうしかない」というお答えがありました。
もちろんそれは分かっていたことですが、政府からそういう回答があったということをお伝えします。おかしいと思いませんか。独立国家であれば、自衛隊が当然のこととして、アメリカや韓国の軍が入れるんですから、救出に入る。そういう国の法律に改正していかなければならないと思います。
このことについても、安倍総理は当然そうしたいと思っておられるはずですので、政府の皆様に、そして国会の皆様に、そういった時に自衛隊が救出に入れるような法改正を、簡単な自衛隊法の法改正でできるんですから、是非そこも進めていただきたいと思います。
家族の方々がご高齢になってきているということを、それぞれのご家族の様子を見て切実に感じています。この動きをご家族がお元気なうちに、歳をとってきている人がいるということを待っている人がいるということだってありえます。
そんなことを決して許してはなりません。
お元気なうちに、必ず被害者を日本に連れて戻る。これが国として当然のことだということを、皆様とともに主張し、多くの力を集めて、被害者をご家族の懐の中に抱えられるように頑張っていきたいと思います。
どうぞ皆様も一緒に動いてください。
宜しくお願いいたします。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.