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【みんな生きている】日比谷公会堂(9)/中山恭子編

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中山恭子(次世代の党拉致問題対策本部長)


金正日は「死亡」の再調査を小泉総理に約束したので「死亡」は遺訓ではない

参議院議員、次世代の党の中山恭子です。
毎回のことですが、多くの皆様が拉致被害者救出を目指してお集まりくださり、大変ありがとうございます。主催者の方々、そして櫻井よしこさんがいつもご尽力くださっていることに、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
今日、いくつかの問題をお話したいと思います。
先ほど飯塚代表から、金正日キム・ジョンイル)総書記の遺訓は、「被害者はすべて死亡している」と伝わっているはずだとのお話がありました。
実は小泉総理が2回目の訪朝をして、金正日総書記と会談を行った時、小泉総理は本当に、必死で、一生懸命「そんなはずはない。死亡しているはずはない」ということを伝えてくださったようです。
その時、金正日総書記から、「そんなに小泉さんが言うのであれば、起点に戻って調査をし直しましょう」と言ったと、私はこの会談に参加していませんが、そのような報告を受けています。
従って、その後の北朝鮮との交渉の中で、金正日総書記の遺訓は、もう一度調査をして生存者がいるかどうか確認しましょうということであったということを北朝鮮側に伝えて、「しっかりと対応してください」ということを申入れしてきていますので、金正日総書記の遺訓が「全員死亡」であったということではないということを日本側は北朝鮮に対して、強く伝えていく必要があろうかと考えています。
また、現在の安保法制の委員会ですが、参議院ではこの拉致問題について、私たち次世代の党もそうですが、その他の党の皆様からも、「被害者救出のための手を打つべきだ」という質疑が続いてきています。
私たちは、自衛隊法84条3の中で、在外邦人救出のために自衛隊が輸送だけではなく、警護や救出に当たることができるという法律に変えられることになっています。ただその要件として、「当該外国の同意があること」といった要件が3つ付いていまして、北朝鮮で動乱があった時に、北朝鮮のどこかに集まっている日本人被害者のために、日本の自衛隊が救出に動くとしても、北朝鮮が同意するとは考えられません。
その地域の支配者が人質を取っている犯人であれば、その救出に同意することはありえないというのは当たり前のことですので、私たちはその要件の「同意」の所に、但し書きをつけるように修正を提案しています。
今回の安保法制成立に向けて修正案が認められるかどうか非常に難しいかとは思いますが、近いうちにでも必ず修正をして、朝鮮半島でなんらかの動きがあった時には、自衛隊拉致被害者及び邦人の救出に当たることができるように法制をしっかり整えていく必要があると考えています。当然のことだと思うんですが、なかなか思うように進んでいかないのが現状です。


ストックホルム合意には拉致被害者救出は含まれていない

昨年5月末のストックホルム合意から1年が経って、被害者に関する情報が出てこないという状態です。昨年、ストックホルム合意が結ばれた段階で、拉致被害者について何らかの情報が出てくることは全く期待できないというのが、この合意でした。これは昨年6月初めの段階で私から申し上げていることです。
このストックホルム合意の中では、被害者を日本に帰国させるという考え方が全く含まれていない。これがストックホルム合意です。従って、このストックホルム合意を元にして拉致被害者に関する情報が出てくるのではないかと期待するこの自体が無理です。
なぜかというと、北朝鮮と今外務省が行っている交渉相手の人々の任務は、拉致被害者に触れることなく、また触れたとしても帰国ということにならないようにしながら、日本から得られるものを取るようにというのが、北朝鮮の中で与えられている交渉相手の人々です。


拉致被害者救出に的を絞った交渉を政府の中で進めていくことが必須

今外務省が交渉している北朝鮮の相手の人々は、それ以外のことは決してできません。従って、拉致被害者を帰国させる交渉をするのであれば、この交渉は一旦打ち切らなければ、北朝鮮の中で拉致問題に関わって、拉致被害者の帰国について話ができるような交渉相手が出てこない限り、はっきり見えていることですので、日本政府の中でももっと冷静に客観的に判断していただきたいと思います。
外交交渉は、日・朝国交正常化交渉はもっと後にしてもらって、その前に拉致被害者救出に的を絞った交渉を政府の中で進めていくことが必須のことだと考えています。
今、岸田外務大臣も、山谷拉致担当大臣も、本当に一生懸命してくださっています。でも、被害者を救出するためには、北朝鮮の交渉相手が変わらない限りは無理だということをしっかり認識していただき、今の交渉とは別に、北朝鮮に対して拉致被害者の救出だけに焦点を当てた交渉をしていただきたい。
今この交渉を専担で交渉する大臣がおられません。みなさん色んな問題を抱えて、忙しい中で必死で動いてくださっているわけです。大臣でなくてもいいですから、総理直轄でこの問題を担当する政治家の方を置いていただきたいというのが、昨年からの心からの必死のお願いです。
もう一つ。今の安保法制にかかわりますが、いざという時にアメリカに救出を頼むという総理の言葉もありました。もちろんこの段階ではそれしかないわけですが、拉致されて被害に遭って監禁されている、そういう人々を救出するのは母国しかありません。母国日本がしっかりと救出するという、はっきりした意思と行動を取らなければ、これは国際社会の中でも恥ずかしいことですし、拉致被害者を救出するのは日本人以外に、日本国政府以外にはないということをはっきりと申し上げたいと思っています。
なんとか救出に向けて、政府、国会が一体となって、また皆様のお力を得ながら頑張りたいと思いますので、どうぞこれからも気を抜かずにご支援くださいますよう、心からお願い申し上げます。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.