もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(22)-2松木 薫さん

松木信宏(松木薫さん弟)


■「これから先が長い」と言われるのが非常につらい

みなさんこんにちは。
姉が母親のことを言いましたので、私はいつものことながら、よど号メンバーの話をしようと思ったんですが、その前に、地方議員の先生方、国会議員の先生方がそれぞれのお立場で頑張ってくださっていることに感謝したいと思います。
その気持ちがあるということを前提にして、一言申し上げます。
「これから先が長い」と言われるのが非常につらいです。私の母はもう亡くなりましたが、普通であればずいぶん長寿だった、長生きだったねえと、さわやかに送り出せるところでした。
しかし、兄が帰ってきてないということで、よく「待ちきれずに」と言われたり、「待つことができずに」と新聞に書かれたりしました。
しかし、十分待ったんです。十分待った上で、帰ってきていない。その点では、家族としては少し気分を害することがあります。
どうか、それぞれのお立場で、これから先が長くなりそうだと思えば、少しでも短くなるような行動を取っていただいて、是非とも早い解決に結びつけていただきたいと思います。


■「会ってやってもいい」とはなにごとか

よど号メンバーのことですが、宋日昊ソン・イルホ)と全く同じようなことを、今、言い始めています。北朝鮮でなら、第三国でなら「会ってやってもいい」と。
何様のつもりだと私は申し上げたい。
先ほど中山先生からお話がありましたが、北朝鮮では自分の意思でものを言うことがなかなかできない状況であることを考えれば、宋日昊大使も、よど号メンバーも北朝鮮の指導者層から、心の中でどう思っているかは知りませんが、言わされているとつくづく感じます。
そう感じながらも、(よど号メンバーは)拉致の加害者と言われるのが「青天の霹靂」などと言っていますが、私の兄が拉致されたということこそ「青天の霹靂」でした。本当に彼らは「日本に帰りたい」と言っていますが、きっと帰ってくることはできないでしょう。
彼らにとっても今がチャンスと思って、一生懸命取材を受けていると思います。
これからも彼らの発言を耳にすることはあるでしょうが、帰ってこれないんだろうなあ、可哀そうだなあと思うようにしています。
この交渉自体は今、生みの苦しみだろうと思います。生むためにはやはり大きな力や小さな積み重ねが合わさって成果が得られていくのだろうと思います。私なども、心の中で色々思うこともあります。自分の考えと違う所があるかもしれません。
しかし、大きな目的、被害者の救出、帰ってくること、そのためには呑むべきことは呑んで、やっていきたいと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。



◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。