もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(22)-1松木 薫さん

斉藤文代(松木 薫さんの姉)


■もうこういう苦しみはたくさんです

みなさんこんにちは。
松木 薫の母は、今年1月11日、父のもとにまいりました。
薫の手を握ることなく逝ってしまいましたが、母が入院していた病院の先生が、「斉藤さん、ちょっと一言話をしておかなきゃならないことがあるよ」と言いました。
「お母さんの身体は触るところ全部痛がってもうどこもマッサージができない。どこをマッサージしたらいいかな」とリハビリの先生が言っていたそうです。
それで、「薫さんが帰ってきたらと、動く手をずっとマッサージした」ということでした。
手は動いていたんですが、その手も握ることなくあの世に行きました。そしてまた、葬儀の時は、私は薫の代わりに焼香したいと思いましたので、「松木 薫さん」と呼んでいただきました。そして私は、「お母さん、必ず帰ってくるように頑張るからね」と母の焼香をしました。
本当にもうこういう苦しみはたくさんです。もう本当に長いこと、長いこと来ましたが、家族も歳をとっております。本当に辛い、辛い毎日です。かわいそうで、かわいそうで、私は何もしてあげられなかったと思いましたが、まだ今年もこれから3か月残っています。何かいい便りが来ればいいなと思って、毎日家事などに励んでおります。
これからも何か私にできることがあれば私もしたいとは思っていますが、どうなるか先は分かりません。
これからも皆様のお力を借りて何とか一日でも早く帰ってこれますように頑張っていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
ありがとうございます。



◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。