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【みんな生きている】有本恵子さん・松木 薫さん/産経新聞

《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!有本恵子さんも松木 薫さんも「みんな生きている」》

壇上のスクリーンに映し出された女の子のあどけない顔に、約450人の聴衆の視線が注がれた。「拉致再調査合意」のニュースから2日後の5月31日、神戸市垂水区で開かれた拉致問題を考える市民集会。神戸市出身の拉致被害者有本恵子さん(拉致当時23歳)の母親・嘉代子さん(88歳)は遠い思い出となった写真を見やりながら、決意のこもった口調で結んだ。
「(北朝鮮が)死亡したと結論付けた恵子ら8人が生きて帰ってこない限り、拉致問題は解決しません」


■強引に引き留めておけばよかった

強引に引き留めておけばよかったと、今も後悔する。
有本さんは家族の猛反対を押し切り、イギリス・ロンドンに留学。ベビーシッターなどをして生計を立てつつ、語学学校に通っていた1983(昭和58)年に連絡を絶った。
それから5年が経った昭和63年9月、娘の身を案じ続けていた父・明弘さん(86歳)と嘉代子さんに意外な形で消息がもたらされた。欧州で失踪した石岡 亨さん(拉致当時22歳)から北海道の実家に送られたエアメールは、有本さんらと一緒に北朝鮮平壌で暮らしていると伝えていた。
国交もない国からの思いもよらない便り。政府に真相解明を繰り返し要望したが、事態は硬直化したままさらに14年が過ぎ、2002(平成14)年9月、北朝鮮は日・朝首脳会談で娘の「死亡」を通告してきた。


■インチキ死亡確認書に「娘は生きている!」

1985(昭和60)年12月に石岡さんと結婚し、翌年に長女を出産したが、1988(昭和63)年11月、石炭ストーブの事故で一家全員死亡した-。
嘉代子さんは突然の「訃報」に打ちひしがれながらも、すぐに疑念が沸いた。「死亡そのものが嘘ではないか」。約1カ月後、政府から北朝鮮が作成した死亡確認書を手渡されると、それは確信に変わった。
そもそも確認書は、有本さんの生年月日が違っていた。実家に石炭ストーブがあり、扱いに慣れていた石岡さんが事故を起こしたとは考えづらい。遺骨など科学的な物証もなかった。


■「生きているからこそ、嘘をついている」

「ほころび」はほかにも出てきた。
拉致被害者曽我ひとみさん(55歳)=平成14年に帰国=の夫、チャールズ・ジェンキンスさん(74歳)は、

「有本さんの子供は北朝鮮の説明とは違う男の子だ」

と指摘。
被害者支援組織「救う会」は有本さんが少なくとも2001年の時点で生存していた情報を入手している。
明弘さんは

北朝鮮はこれまで、色々な嘘をついてきた。絶対に生きている。なんとしても生きた姿で返してほしい」

と話す。


松木 薫さんのインチキ遺骨を出してきた北朝鮮

石岡さんのエアメールは、有本さんとは別の日本人の生存も伝えていた。欧州で行動をともにしていた熊本市出身の松木 薫さん(拉致当時26歳)だ。
北朝鮮は「1996年8月に高速道路での事故で死亡」と日・朝首脳会談で説明したが、出してきた「遺骨」は鑑定で別人と判明。交通事故記録は、死亡者の名前すら未記入でいい加減なものだった。「なんてひどい国なの」。姉の斉藤文代さん(69歳)は激しく憤った。
「死亡」を覆す証言はほかにもある。
朝鮮労働党元幹部によると、1999年から2003年にかけ、平壌の外貨ショップで松木さんと有本さんに似た男女を複数回目撃したという。


松木スナヨさんの無念

今年1月、母のスナヨさんが92歳で亡くなった。10年以上に及んだ入院生活では何度も高熱を出し生死の境をさまよいながら、家族が「薫が帰ってくるまで頑張るんだよ」と声をかけると、容体が安定した。
スナヨさんの葬儀・告別式では、焼香する親族の1人として「松木 薫」の名前が読み上げられ、周囲が驚く中、薫さんに代わって斉藤さんが焼香した。

「薫は北朝鮮で生きていて、母の葬儀に間に合わなかっただけ」

と斉藤さんは薫さんの生存を固く信じている。

よど号ルート拉致事件
◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(拉致被害時23歳)
欧州にて失踪。
よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

よど号ルート拉致事件
◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

よど号ルート拉致事件
救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。