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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-1田口八重子さん

飯塚繁雄田口八重子さんの兄。家族会代表)

みなさまこんにちは。
台風が来ている中、このように大勢の方が、拉致問題を早く解決してほしい、解決せよとの意気込みでご参集いただき、本当にありがたく思っております。
私たち家族会は、立ち上げてから既に16年5か月と20日で、今日は節目です。
私がいつも言うように、毎日毎日がこの問題の解決を待つ我々としては、その日が節目になるんです。そして今日はどうだったか、明日からどうなるかという思いで、これだけの長い間ずっと待っております。当然その経過の中には、5人の方が帰ってきたり、色々動きはありましたけれども、その後に残る大勢の拉致被害者の問題というのは全く進展がないままに、今この時間を迎えているわけです。
そういった意味では、私たち家族会としては、あらゆる問題、課題に対し、色々な活動をできる限りやってきておりますけれども、私たちの家族もだんだん歳を取ってきています。従いまして、皆さんのお力を借りないと、こういった啓発活動も含めて、活動がなかなか難しくなってきているのが実態です。
日本人拉致問題の解決は、あくまで日本政府がきちっとしたイニシアチブをとって、戦略の中で色々な計画、企画、実行をするべきだろうと思っております。
しかしながら、この北朝鮮問題というのは、日本の関係だけではないというのが実態でありますし、そういう意味では国連の関係、あるいは諸外国の力を借りながらともにこの問題を解決すべく色々な努力を続けていくのも当然必要だとも感じます。
そういう中で、ごく最近、北朝鮮の実態を調べるべく、(国連に)「朝鮮民主主義人民共和国の人権に関する調査委員会(COI)」というのができまして、この委員会が私たち家族会や特定失踪者を含めた実態の調査を始めました。マイケル・カービーさんというのが委員長で、非常に熱心に実態をつぶさに把握して、文章にまとめ、北朝鮮に向けて具体的な行動をしていくという約束をしていただきました。
いつもですと、国連関係の調査というのは、我々の被害の実態をつかんで、北朝鮮に向かって、「この件について報告せよ」という命令を出しますが、これに対して北朝鮮は何の反応も見せず、すべて反故にしてしまうという態度を取り続けてきました。
今回の調査委員会の公聴会の中では、実態を調べ、それを北朝鮮に突きつけ、回答を引き出すための努力を是非してほしいと思います。当然ながら北朝鮮にいる拉致被害者の実態もきちっと調査をしてほしいということもお願いしました。
日本でも、この問題を解決しようという気運が相当高まっています。しかも、ある一部の運動ではなくて、日本国民の大きな課題であるということを踏まえた、いわゆるオールジャパンという形が整いつつあります。
そういう中で、安倍総理におかれましては、「この問題は私の責任で絶対解決する」との強い意思をいただいております。私たちは安倍総理に絶大な期待と信頼を持っております。さらに言えば、安倍総理でなければ解決できないんではないかという思いも強いです。
私たち家族会としても、そういう期待の中で、総理が動きやすい環境づくり、というと口はばったいんですが、またできるかどうか分かりませんが、そういう方向を皆さんに示しながら協力をいただくというのも、これが大きな力になると感じております。
総理におかれましては、ものすごく多くの課題を抱えながら、日々努力しておられる姿を見ます。その中では、決してこの拉致問題の解決を忘れてはいないとも感じています。
この問題は早く解決しなければならないというのが前提ですので、そういう意味では他のたくさんの問題を解決する過程で、必ずこの拉致問題を全面に出して、是非とも解決の糸口を見出していただき、北朝鮮に対し、圧力をかけながらも交渉の機会を探すことも必要かなと思います。
私たちはこれからも頑張らなければなりませんが、できればこのような集会をしなくてもいいように、次回は、私は家族会代表としての挨拶はしないと思います。この前提は当然ながら拉致の解決ですね。そういったことも常々思いながら皆様にさらなるお願いをしていくと思います。
全国津々浦々、色々なボランティアの方々を含めて、まさにオールジャパンの形ができつつある中で、今年を山に、是非その道につながるようなそれぞれの役割の中で仕事を果たしていただきたいという思いでいっぱいです。
私事ですが、田口八重子のすぐ上の姉であった私の妹が先週、闘病生活を続けている中で、妹に会いたいという気持がずっとあったにも関わらず、力尽きて他界しました。私個人としては非常に残念なことです。こういったことが今後次々に起こらない内に、是非とも早期解決の兆しを私たちは見たいと思います。
今後ともみなさまのお力添えをよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)