もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)田口八重子さん

飯塚繁雄(家族会代表。田口八重子さんの兄)


■いい加減な結果は要らない

皆様こんにちは。
こういった集会を何回となく続けてきました。
全く新しい情報、明るい情報が伝えられないままに今日に至りました。
今日は、今この時期、日本全体が一丸となって北朝鮮に向けて、「日本人をすべて返せ!」という大きな声をあげ、これが大きなカードとして、メッセージとして実るようにしたいと考えています。
本日は、安倍総理大臣初め政府の方々、そして議連の方々等たくさんの、この問題を早く解決するぞという方々が大勢集まっています。従いまして、北朝鮮が調査報告を出すというこの段階において、日本人、政府も含めて、絶対に不誠実な報告は許さないという気持ちをここで改めて固めたいと思うんです。
これが、全ての日本人の意思だということを強く築き上げて、北朝鮮に向かってそれなりのきちっとした対応を迫るという風にしたいと思います。
北朝鮮は拉致に関しては、いわゆる犯罪国です。日本は被害国です。ですから本当はすべて無条件で日本人全員を返せという一本槍で強い態度で交渉すべきですが、この辺は北朝鮮のしたたかな対応に対して、日本がどう対応を考えていくか。そこに大きなかぎ、知恵、出し方が注目されるところです。私たちは一刻も早く北朝鮮からの誠実な報告を待って、それを日本政府がきちんと精査して、はっきりとした事実をもとに、私たちのところにご報告をいただきたいと思います。
その経過においては、さらに、この問題を起こした犯罪者の真相究明もしっかりまとまることを期待しながら、もう少しの時間、注視していきたいと思います。
私たちは、いい加減な結果はいらない。はっきりとした結果を出してほしいというのが本心です。
皆さんと共に注目しながら、全員一体となって大きな力を発揮しながら、結果をみつめていきたいと思います。
今後とも宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。


■もう後がない

先ほどもちょっとお話ししましたが、「もう後がない」というのが実感です。
今日のこの会場は、拉致問題を徹底的に、早期に、しかも確実に解決しようという雰囲気、意気込みがものすごく高まっており、私も感じています。
今年もあと3か月余りです。「今年こそは」ということからすれば、有言実行という言葉がありますが、あと3か月が実行の期間だと思います。
実行なくして何事も生まれない。
こういうことを常に思いながら、それぞれのご担当の方が、私たちも当然活動しますが、この雰囲気を続けて実行に移していただきたいと思っています。
宜しくお願いいたします。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)