もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-1田口八重子さん

飯塚繁雄(家族会代表、田口八重子さんの兄)

みなさんこんにちは。
この集会は、今司会が言った通り、何十回という経過の上で今日の集会を開いたわけですが、「今年こそ結果を!」がスローガンで、皆さんとともに、結果を早く出す意気込みを示しています。そういう中で、私も誰かと会う度に、「もう我々は我慢ができないんだ。今年こそ結果を出したいんだ」という話をしています。
今年は3月以降色々な動きが出てきました。そういうのを見ながら、何か動くのではという気持ちがありますが、これは今後の対応を見てみないと分かりません。しかし、今までになく動きが出ていることは確かです。
その一つとして、皆さんの応援のおかげで、私も3月17日の国連の人権理事会の本会議に直接出席させていただきました。民間人があそこで喋るのは初めてということで注目を浴びました。
時間が短い中、人権調査委員会(COI)の報告を受けて、各国の代表が非常に注目していました。そういう中でさらに理解を深めていただくために私の話、1分40秒でしたが、拉致の実態、家族の思いを訴えました。
今回の調査委員会の内容は、今までになく相当厳しいもので、北朝鮮に対し強い言及となっています。しかも、「人道に対する罪だ」というきつい言葉もはっきりと載っています。各国代表がそれぞれ意見を述べたわけですが、8割以上の国が、「この問題は早急に対応していかなければならない」というような話がありましたし、今回拉致問題に理解を深め、場合によっては具体的な行動に移してもらうような雰囲気が感じられました。
私が発言しようとしたら北朝鮮の代表(国連代表部大使)が、テーブルを叩いて「あいつは誰だ」と、「政府の代表ではないのではないか」という動議が出ましたが、議長は「そうではない。きちんと登録された日本政府の一員だ」ということで、私はそのまま訴えました。
この場面を見て、各国代表も、「(北朝鮮は)やはりこんな程度の国なのか」と感じたと思いますし、あの態度そのものが自らの非を認めた態度なんです。そして我々は、人権理事会での決議を安保理に付託して、北朝鮮に向けて実際の行動がとれるようにしてほしいというお願いをしてきました。
その件は今日本政府と綿密な連携をとりながら次につなげていくべく活動していただいています。
そして先日、アメリカ大統領のオバマ(Barack Hussein Obama II)さんとお会いしました。
あのタイトな日程の中で拉致被害者家族と会う意味を十分考えていただいた上で、あのような結果になったのではと思います。横田夫妻と私と3人で会いましたが、拉致の実態をかなり認識しているようですし、この話をする時の顔つきの厳しさ、これも相当感じました。
拉致というひどいことが未だにある。これを何とかしなければならないという感じが受け取れましたし、そばに安倍総理がおられ、二人で今後の対応をきちんとやっていくというお話もうかがいましたので、今後に期待します。
この件は北朝鮮も当然見ていますし、アメリカ国民も知っていますし、世界各国に配信された大きなインパクトだったと感じています。
そういう動きの中、3月には日・朝の局長級会議も開かれ、さらにこれを継続していくという動きになっています。協議すればいいということではなくて、協議の結果がやはりほしいわけです。そういう意気込みも日本政府の中にあるようですし、今後北朝鮮にだまされないような形ですすめていかなければならない。安倍総理も、「今度こそは絶対だまされない」とおっしゃっていました。
しかし、北朝鮮は今現在「解決済み」という態度を崩していません。それをひっくり返すのは大変です。どういう形でひっくり返せるのか、あるいはどういう形で拉致問題の協議が進展していくのか分かりませんが、動きが感じられます。
逆に、ミサイルを撃ったり、核実験をするぞと言ったり、そういう軍事的な威嚇の動きもあります。これらを総合してどう分析するかは専門的なことなので、それなりの方々が判断することですが、我々はそういう動きを見て、以前とはちょっと違うなという感じを持っています。
今後も間髪を入れず協議を続けていけるように是非お願いしたいし、日本政府が責任を持って解決すべきことでしょうが、我々としても、あるいは皆さんからみても、それを応援するような意気込みが必要だと思います。
今後どうなるのか分かりませんが、少なくとも何も動きがなかった、何をしているんだということがなくなったことが期待につながるわけです。
このような集会は、もう結果の報告の集会にしたいといつも思っています。多分いっぺんには解決しないとしても、解決に進んでいく道筋がはっきりと見える、あるいは少しずつでも被害者が帰ってくる、こういう状態が続けばすべての被害者が帰ってくることにつながるわけです。認定被害者だけでなく、特定失踪者の方々もたくさんいます。そういう人たちも含め結果を期待したいと考えていますので、皆様がそれぞれのお立場でこの問題が早期に解決するように是非ご支援をお願いいたします。
今日はたくさんお出でいただきありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)