もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/堀田正俊刺殺事件

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いわしにおからをまぶして食べる。

こいつァ酒にもメシにも合うのよ。

堀田備中守正俊様。

綱吉公を五代様にした一番の功労者だ。

綱吉公は、そりゃあ堀田様に感謝した。何せ初めは将軍の目なんて無かったんだからな。

家綱公が薨去される際、雅楽頭様(酒井忠清)が「次の将軍は有栖川宮様(幸仁親王)がよかろう」って言ってな。それで有栖川宮様に決まりかけたところに待ったをかけたのが備中守様よ。

備中守様はな、病が重くなって「あ~う~」しか言えねえ家綱公の唇に耳を近付けてな、それで大声で「皆の者、上様は館林様を五代様に御指名じゃ!」って大声でやった。

これで綱吉公は五代様になれた。綱吉公はそりゃあもう備中守様に感謝感激雨あられよ。おたま様(桂昌院)に至っては「このたびの大功、生涯忘れませぬ」って備中守様の手を取って頭を下げた。

綱吉公も備中守様を大老職に就けてな。目一杯で大功に報いたのよ。

家綱公の後半あたりから、幕府の財政は厳しかった。それで備中守様は大奥から下々の民に至るまで倹約しろって言ったんだ。

備中守様の倹約令はちょっと厳し過ぎてな。江戸の町の連中も「何もそこまで」って腹ァ立てた。

そこへ、大奥への倹約令だ。こいつも厳し過ぎてな。それでおたま様がたまりかねて「これなら館林にいたほうが良かった」って綱吉公に文句を言った。

「まざこん」の綱吉公のこった。すぐに備中守様を呼びつけてな。「もうちょっと倹約令を緩くしろ」って言ったんだが、備中守様は頑として聞かねえ。「財政は厳しいんです」の一点張りだ。

しょうがねえから綱吉公は備中守様に遠回しに「隠居しろ」って言ったんだがな、遠回しに言って通じるようなお人じゃねえんだ。あのお方は。

そこで綱吉公は備中守様の親戚の稲葉正休ってえのに「堀田備中を殺せ」って裏から手ェ回したんだ。

「累代の御厚恩に応え、堀田正俊を討ち果たした」

稲葉正休の遺書にはこう書かれていたんだ。

稲葉正休の青野藩は先代が男色のもつれから殺されちまったんだがな、綱吉公はそのことを稲葉正休に言ったんだろう。「あのような理由で殺されたのに、幕府は青野藩を潰さなかったんだぞ」って恩着せがましくな。

稲葉正休は備中守様を刺す前の晩、備中守様の屋敷で一緒に酒を飲んでる。川普請の見積もりの不正の話をもみ消すように頼んだって話もあるが、オレが思うに、稲葉正休は綱吉公に言われて備中守様の様子を探りに行ったんじゃねえのかなって思うんだがな。

次の日、稲葉正休は備中守様を刺した。

腹から背中に傷が抜けてるくらいだから、きっちり仕留めるつもりだったんだろう。

ところがだ奈穂子サン、御老中の方々は稲葉正休を捕らえずにその場で寄ってたかって斬り殺した。

ま、おかしいわな。刃傷沙汰があったとき、下手人はその場で捕らえられて吟味(取り調べ)のうえで切腹の御沙汰が下るんだがな。稲葉正休はその場でメッタ斬りにされちまった。こいつが綱吉公が「黒幕」だってぇ何よりの証拠だわな。

綱吉公は備中守様の祟りに怯え続けた。寛永寺にお詣りに行ったときのことだ。綱吉公は供の者に「備中の墓はどの方角にあるんだ」って聴いてな。その方角に屏風を2枚も置かせた。さらには備中守様の墓を掘り返してオロク(遺体)をうんと深いところに埋め直した。

しょうがねえ小心者だ。そこまでおっかながるんなら、人殺しなんてしねえこった。

みっともねえ「お犬様」だ。まったく。

いわしに限らず、おからはいろんな魚に合わせて使ったんだぜ。

奈穂子サン、また。