もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/五代将軍のこと-徳川光圀と堀田正俊-

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最近弥七のヤツはすっかり酒がダメでな。
で、酒がダメになったと思ったら甘党になりやがった。
何が悲しくていい歳のオヤジが二人して金鍔なんか食ってるんだよ。
水戸のジイサンに笑われちまわァ。



へえ。
蘭ってえのは綺麗な花だなあ。
水戸にこんな綺麗な花が咲くんですかい。
え?何?綱吉公が何で五代様になれたかって?
今日はえれえ真面目なお話だなあ、奈穂子サン?
家綱公にはお世継ぎがいなかった。そこでだ奈穂子サン、五代様には「こうほしゃ」が三人いた。
一人は綱吉公。
もう一人は甲府藩主・徳川綱豊様(のちの家宣将軍)。
そしてもう一人、有栖川宮幸仁親王様。
幕府の中は綱豊様を推す一派と宮様を推す一派がいた。綱豊様を推す一派が水戸のジイサンやその取り巻きの御譜代の面々、宮様を推す一派は御大老・酒井雅楽頭様(忠清)とその取り巻きの連中だった。
実はな奈穂子サン、水戸のジイサン、旗色が悪かった。御三家の当主といえども、幕府の大老職にはさすがにかなわなかった。
雅楽頭様のほうは宮様を立てて「宮将軍幕府」にしようと企んでた。宮将軍ってえのは鎌倉に幕府があった頃、得宗(北条氏)のヤツらが都から宮様を連れて来て将軍にした例のアレだ。宮様は飾り物の将軍で、執権職と連署が政事を執った。執権職は得宗(北条本家)が、連署は北条の支族が務めた。
雅楽頭様はそいつを真似ようとした。「もともと松平家と酒井家は同族だから」ってえのが雅楽頭様の言い分でな。「だからオレが執権になってもいいだろう」って。で、有栖川宮様のカミサンは越後守様(松平光長)の妹君だ。それで雅楽頭様は越後守様を連署にして幕府を乗っ取ろうとした。
水戸のジイサンが担いだ綱豊様は支持が少なくてな。ジイサンも困ってたんだ。「このままじゃ幕府は雅楽頭に乗っ取られちまう」って。そこに手を差し伸べたのが堀田備中守正俊様よ。
堀田様は新しく老中職になったばかりでな。だから雅楽頭様も「のーまーく」だったのよ。この堀田様が綱吉公を推していた。
綱吉公は家綱公の実弟でな。だから血筋から言えば綱吉公が跡を継ぐのが一番いいんだ。ただまあアレだ、綱吉公はちょっとトンチキなとこがおありでな。「トンチキはマズい」ってんで綱吉公を推す声は小さかった。が、幕府乗っ取りを指くわえて見てるワケにもいかねえ。そこでだ奈穂子サン、堀田様は水戸のジイサンに取引を持ちかけた。「綱吉様が五代様、綱豊様が六代様でいかがでございましょう」ってな。ジイサンも幕府乗っ取りを認めるワケにゃいかねえ。そこでこの取引をのんだ。
話が決まれば水戸のジイサンのことだ、動くのは早かった。少しずつだが、「綱吉支持」の人数が増えていった。
そして家綱公御臨終の場での堀田様の大芝居よ。堀田様は御危篤で「あ~う~」しか言えねえ家綱公の唇に耳くっつけてな、「皆の者!上様は館林様を五代様に御指名じゃ!」って大声で一芝居打った。そして「綱吉公を五代様にする」ってえ奉書を勝手に書いて加判して館林藩邸に駆け込んだ。
雅楽頭様は堀田様についちゃあ「のーまーく」だったからな。鮮やかな「逆転劇」だったってえこった。
この「逆転劇」、水戸のジイサンが御三家の力を目一杯使って雅楽頭様一派を切り崩し堀田様が大芝居でケリをつけた。水戸のジイサンは幕府乗っ取りの危機を守ったんだ。流石だぜ。



金鍔はもともと上方の菓子で銀鍔って言ってたんだ。
そいつが江戸に伝わったときに「江戸は決済が銀じゃ無くて金だから」ってことで金鍔って名前になった。
ま、金鍔なんか食っちまったら、今日はもう酒飲めねえな。
奈穂子サン、また。