もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/銭五騒動-江戸の公害-

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あなごを開いてな、みりんのたっぷり入ったしょうゆをドバーッとかけてな、そんでそれを蒲焼きにするのよ。

こいつがまた酒に合うのなんのって。

ちょうど今日みてえなクソ暑い日だったな、銭五のオッサンが加賀藩のヤクニンにしょっ引かれたのはな。

銭屋五兵衛。

オレたちはこのオッサンのことを銭五、銭五って呼んでたんだ。

40近くなって商売を始めて成功した人でな。成功したってえのは、加賀藩の御用商人になったってこった。ま、奈穂子サンの時代でいう「おやじの星」ってえヤツだ。「人生五十年」の40だ。相当な苦労があったはずだぜ。

その銭五のオッサンがな、加賀藩河北潟ってえ湖の埋め立て工事をやるってんで請け負った。河北潟は埋め立てりゃ5万石の新田が出来るってんで藩は力を入れててな、そんで御用商人の銭五のオッサンに埋め立て工事の全権を与えたってワケよ。

ただ、銭五のオッサンには敵が多くてな。まず、河北潟の魚を穫って生活してた連中が銭五のオッサンに抵抗した。次に、河北潟の地元の連中だ。銭五のオッサンは賃金を安く済ますために地元の連中じゃなくて流れ者を使った。これが地元の連中を敵にした。

あれは銭五のオッサンがとっ捕まる少し前だったな。河北潟の魚がいっぱい死んでプカプカ浮いてやがった。浮いた魚の中にはからだがひん曲がっちまった魚もいたんだ。

で、この曲がった魚を食った猫やらカラスやらがバタバタ死んだ。猫やカラスが死ぬんだ、人間だってただじゃ済まねえ。

河北潟の魚を食った村のヤツが死んだんだ。

それで銭五のオッサンを良く思ってねえ連中が「銭五が河北潟に毒を撒いた」って噂流した。藩のヤクニンも最初は聞き流してたんだがな、騒ぎが放っておけねえくらい大きくなっちまってな。そんで藩は銭五のオッサンをしょっ引いた。

ヤクニンは「河北潟に毒を撒いただろ」って銭五のオッサンを拷問にかけた。70過ぎのオッサンをだぜ。

銭五のオッサンはやっちゃいねえモンはやっちゃいねえから「オレはやってねえ」って言い続けた。

次に藩は実際に埋め立て作業をやったヤツを何人かしょっ引いて拷問にかけた。そしたらその中の一人が拷問に耐えかねて「石灰と越後の臭水を混ぜて埋め立てに使った」って白状した。

越後の臭水。

「臭水」は「くそうず」って読む。奈穂子サンの時代でいう「石油」のこった。藩は石灰と臭水で魚が死ぬのかどうか藩医の先生に調べさせた。先生が調べた結果は「シロ」だった。「シロ」である以上、銭五のオッサンは無罪放免になんなきゃおかしいんだがな、そうはなんなかった。

実ァな奈穂子サン、この騒動のまっただ中、加賀藩の抜け荷(密貿易)を幕府が嗅ぎつけた。藩でやる抜け荷だ、銭五のオッサンだって当然関わってる。藩の御重臣の方々はな、「牢にいる銭五に全て被せてしまえ」って言って銭五のオッサンに拷問を続けた。

師走のことだったな。銭五のオッサンは牢屋で死んだ。加賀藩御用商人・銭屋五兵衛は罪人・銭屋五兵衛として牢屋で死んだ。

銭五のオッサンの船は日本中を駆け回った。歳の近い連中から見たらまさしく「おやじの星」だったんだ。その「おやじの星」の最期は悲惨だったな。

加賀藩の抜け荷について、あとで勝の旦那(勝 海舟)は「あれァ幕府はずーっと前から知ってたぜ。けどよ、加賀を取り潰すのがめんどくせえから放ったらかしにしてたのよ」って笑ってたぜ。

加賀に銭五あり。

今となっちゃ虚しい響きだなァ、オイ。

あなごの一本握りってのは、あれは江戸前なんだぜ。

奈穂子サン、また。