もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(20)-3/荒木和博編

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荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)


■被害者が「どこに集まればいいか」の緊急ラジオ放送が必要

一言言いますと、政府では5月のゴールデンウイークに政府行事として海外への広報が行われます。そこに今まで、必ず特定失踪者のご家族が行っていたんですが、今回、我々が誰が行っていただくか推薦させていただく形となりました。
今回我々は生島さんに行っていただきたいと推薦したところ、政府の方からは健康上の理由で連れていけないという話がありました。健康上の理由というのは、去年の8月に生島さんは癌で手術をされているということがあって、ということでした。
「本人に聞いたのか」と言ったら、本人には何も問い合わせをしていない。ご本人はわざわざ主治医の先生のところに行って、聞いていただき、「既に転移はしていない。現在治療はしていない」と言われた。要は行っても大丈夫だと、行くのはヨーロッパですが、そういう話だったんですが、そこまで言っても、「いや心配だからいけない」と。
恐らく、これにはどう考えても別の理由があるとしか思えない。そのうち他の方についても、何かきついことを言うようであれば、健康上の理由とかで外される可能性もある。これは大臣ご自身が了解されたと聞いていますが、違うんですか。
加藤大臣は首を振って否定)
島田室長はいるだろう。
(司会からたしなめられる)

ともかくそういうことをされている。そのうち私も、「あいつは健康の問題」とか、「脳波がおかしい」とかいって外される可能性があるかもしれません。
時間がないのでこちらから申し上げることだけ言っておきます。
我々は4月のミサイル発射失敗に合わせて、緊急放送を開始しました。今も普通のニュースの中に入れる形で続けているんですが、先ほど我々は家族懇談会をやって、その後緊急放送用の家族のメッセージを録らせていただきました。後程放送される局もあると思いますが、是非何かニュース等があれば聞いていただきたいと思います。
ともかく何とか助けなければいけないという思いのこもった放送がこれから流れます。できれば我々としては時間を延ばしていきたい。何が起きるか分かりませんので、可能な限り24時間の放送に近づけようと思っています。
その放送をやるためには当然資金が必要になりますが、まずやるということを前提にして今話を進めているところです。総務省もこれについては積極的にご協力をいただいています。また短波放送を送信しているKDDI八俣送信所も非常に前向きにやっていただいている。
今ネックになっているのは、「しおかぜ」担当の村尾からは、「言わないでくれ」と言われているんですが、NHKだそうです。今西さんか福田さんがいましたら社長に言っておいてください。NHKがネックになっていなければこんなことは簡単にできるし、そもそもNHKがやってくれれば我々はやる必要はないということです。
我々として最後にやりたいのは、ともかく、「ここに助けに行くから、ここに集まってください」という放送をやりたいんです。でも今の状態では、政府の方は、相手国の承認がどうとか言って、やろうとしない。
もしこの中でご協力いただける方があれば、どこかで船を出してもらえるのであれば、民間で船を出して助けに行く。「しおかぜ」の放送で、どこに行くということを伝えて、民間で助けに行くということだって、私はしなければいけないと思っています。ご協力いただける方があれば宜しくお願いいたします。
もう一つ、先ほど外務省局長が見えていたみたいですが、各国の大使館へという働きかけであれば、北朝鮮にある各国大使館のファックスの番号が分かっているのであれば、これを全部公開して、ここに皆でファックスをどんどん入れるということができると思います。
北朝鮮の中に送るとすぐにブロックされるので同じ番号が使えなくなりますが、大使館であれば恐らく大丈夫ですので、それをしたらいいんじゃないか。外務省にもご協力をお願いしたいと思います。
それから先ほど総理のご挨拶の後で、ちょっと意外に思ったんですが、この間の時は確か、総理は家族にぐるっと挨拶されてから、最後に出て行く時、特定失踪者の所を通って挨拶して出ていかれました。今回はこちらにこられるのかなと思ったら、そのままお帰りになった。
お忙しいのかもしれませんが、そういうのを見ていると、特定失踪者について関心がないんじゃないかと思わざるをえないです。
我々としては政府がやってきたことに対して非常に強い怒りを持っています。
このままでいいのかと。家族会の方々もやはり、かなり持っているんですけど、それはなかなか言いにくい。でも、先ほどの家族懇談会でもそういう怒りの声が出ていました。
私は一度、政府に対する損害賠償の訴訟でも起こそうかとも思いました。但し、それをやるとなると、いま政府の広報を「しおかぜ」の中に入れる形で政府からの援助をいただいていますが、これを全部蹴っ飛ばして、ちゃぶ台返しをやらなければならなくなる。
時間を増やさなければならない時に、これはなかなかしんどい。その代り先ほど話をして、国際刑事裁判所(ICC)に特定失踪者の問題で提訴をするということができな
いだろうかということで、その話を我々として固めました。
5月末がストックホルム合意から3周年ということになりますので、それまでに中身をつめて、検討していこうと思っています。
そのために、我々としては特定失踪者の家族会というのは、状況がみんな違って人数も多いので、できないというふうに考えてきたんですが、家族会という言い方にはならないと思いますが、なんらかの形で特定失踪者のご家族の集合遺体を作っていく。今動けなくなっているご家族が多いので、動けるご家族の協力をいただいて、塊を作っていく方向で進めています。
いずれにしても、この間の宋日昊ソン・イルホ)ごときの偉そうな口ぶりに怒らない方がおかしい。あんなのは1時間半のヤクザ映画だったら、最初の5分で殺されておしまいという、そういうチンピラです。あんな偉そうなことを言われて、我々は黙っていていいのか。今こそ力を見せる時だと思います。
終始失礼なことを言いましたが、これから私もどんどん嫌われていきますので、ご協力を宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。

【補足・西岡 力】
実は私は北京で宋日昊と怒鳴り合いをしたことがあります。
荒木さんが言う通り、そんなに重い人間ではなかったと思います。
しかし、一つだけ考えなければいけないのは、ずーっとやっているということです。ずーっと日本をだます役割をしている人間が、ずーっとやっている。工作が専門であるということは、甘くみてはいけないなと思います。



■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.