もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/土浦藩相続一件

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今日は冷や奴だ。
ただの豆腐が薬味をかけただけでゼイタクな一品に変わる。
こいつがまた冷や酒に合うのよ。



何でえ麻由坊、おめえ、そんな草鞋みてえなでっけえ油揚げ持って来て。
その油揚げでトンチキお大名の話しろってか。
それにしてもウマそうな油揚げだなオイ。
よしわかった。
その油揚げはな、ジュウって焼いて上からたっぷりしょうゆと薬味をかけてやる。
で、今日はどのトンチキお大名の話をすりゃいいんだ?
へ?
土屋彦直様?
おい麻由坊、相模守様(彦直)はトンチキなんかじゃ無えぞ。そりゃまあ、晩年は下屋敷の女中が川に身投げしていろいろ噂にゃなったが、相模守様はまともなお大名だったぜ。
これじゃおめえ、話すことが無えやな。ま、油揚げ食ってまっつぐ帰えるんだな。
ん?
「あたしが聴きたいのは彦直様がどこから来た養子なのかって話なのよ」って?
ああ、そんなことか。
そりゃいくらでも話すンぜ。そンな話、いくらしたって奉行所にゃしょっ引かれねえからな。

相模守様はな、水戸の治保公の三男坊だ。幼名を拾三郎君といった。
ま、水戸家の部屋住みといえども、部屋住みは部屋住みだ。養子に行く宛てが無けりゃあただの穀潰しよ。
そこへ、養子の話が転がり込んで来る。常陸土浦の土屋寛直様が16歳でポックリだ。ありゃあ確か文化7年の10月15日のことだったな。ホントのポックリだったから、寛直様は養子を立てねえまんまだった。これじゃ土浦9万5千石はお取り潰しだ。
そこでだ麻由坊、土浦藩の家老連中は水戸城に行って水戸の国家老の連中に御相談よ。「拾三郎君を御養子に」ってな。幸い、寛直様にゃ充子様ってえ実の妹がいてな。その充子様の婿養子に拾三郎坊ちゃんを貰いてえって申し出たのよ。
水戸の家老連中にしても悪い話じゃ無えぜ。何せ水戸と土浦はご近所だ。土浦藩主が水戸藩主と親子・兄弟ってえのは都合が良かった。
話はこれでまとまったんだが、何せ寛直様が死んじまってるからな。こっからが大変だった。
まず、土浦藩の家老連中が連名で老中職に「土浦藩、領地返上の願い出」を出した。中身は「当主・寛直、病弱につき領地を返上したい」って書いてあってな、そのあとに、「乞い願わくば、養子を迎えて当主とすることをお認め願いたい」って書いてあった。
老中職の面々は中身を読んで「ああこれはもう寛直どのは亡くなられているのであろう」ってピンと来た。だがな麻由坊、土浦藩土屋家と言えばあの土屋政直様の家系だぜ。政直様は麻由坊も知っての通り、吉宗公の将軍就任を実現させた大功臣よ。
老中職の面々はそこのとこを重々承知してたからな。願い出が出された時点じゃ拾三郎坊ちゃんの養子相続は上手くいきそうだった。
ところがだ麻由坊、首席老中の松平伊豆守様(信明)が「願い出に不審がある」って言い出した。伊豆守様は白河公(松平定信)が能力を認めたお方だったが、何事にも疑り深くてネチネチと理屈をこねくる悪い癖のあるお方だった。
伊豆守様は「もしや、寛直どのはすでに死んでおるのではないか」って思った。そンで伊豆守様は「わかった。願い出は聴いてやろう。ただし、認めるかどうかは寛直どのにお会いしたあとだ」って土浦藩の家老連中に言ったのよ。
家老連中は参っちまった。何せもう寛直様はこの世にゃいねえ。まさかイタコを伊豆守様の前に連れてくワケにもいかねえ。で、家老連中は水戸藩に御相談よ。水戸藩としてもこの養子縁組は成功させてえ。で、とうとう治保公が直々に御出馬よ。
治保公は伊豆守様に直接「うちの拾三郎に土屋家を養子相続させてえんだがな、認めてくんねえかい」って言ったのよ。伊豆守様は「願い出のことならば土浦藩の家老連中に寛直どのから直接話を聴いた上でと申してあります」って返事した。
治保公はカチンと来た。「おい伊豆守、おめえは首席老中の分際で御三家にケチ付けようってえのか!」って怒鳴った。「わかんねえことグダグダ言ってねえで、土浦藩の願い出を認めたらどうなんでえっ!」ってたたみかけてな、伊豆守様も御三家にゃあ逆らえねえから拾三郎坊ちゃんの土浦藩相続は認められた。
ま、これが彦直様相続の一件よ。
お大名の中には、時々こういうのがある。養子の準備をする前に死んじまって、慌てて死んだの隠して養子相続の手続きをするってえのがな。



ウマい油揚げだったぜ麻由坊。
そこまで送ってってやるから、寄り道しねえでまっつぐ帰えるんだぞ。
麻由坊、またな。