もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様番外編/松平信綱

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くあぁっ!
このキレのある味わい。
今日はな、弥七が水戸のジイサンから差し入れだってえんで、灘の酒を持って来たのよ。



何だ麻由坊?
おめえ、それ、反本丸(牛肉)じゃねえか?
そんなモン持って来て、おめえまたどうせ「彦根の殿様の話してくれろ」とかって言うつもりなんだろう。
まあ、いいや。
反本丸なんて滅多に食えねえんだ。井伊の殿様の話してやんぜ。
あ?
違う??
違うって、おい麻由坊、いったい今日は何の話でえ?
何?
知恵伊豆だ?
おめえ、何でまた伊豆の旦那の話なんて。
そりゃまあ話すんのは構わねえよ。伊豆の旦那はオレたちだって大好きだからな。
じゃ、この反本丸は有り難く頂くぜ。

伊豆の旦那はな、慶長元年の10月30日に生まれたのよ。
大河内金兵衛って代官の長男でな、亀千代ってえ名前だった。ま、何事も無けりゃあそのまンま代官になってそれでお終めえよ。
だがな麻由坊、こっからが「親バカ」のすげえトコでな。「親バカ」の金兵衛はな、弟の松平正綱様に「この子は親の口から言うのもアレだが、こんな聡明な子供はそう探したっていねえ。だからよ、この子をおめえの養子にしてだな、松平姓を名乗らせてやって欲しい」って頼んだ。
正綱様も実の兄の頼みとなりゃあ聞かねえワケにもいかねえ。亀千代坊やは8歳で松平家に養子に入った。で、名乗りも松平長四郎に変えたのよ。
長四郎坊やはな、松平家に養子に入ってすぐに竹千代君(家光将軍)の小姓になった。えれえ真面目な勤めぶりでな。秀忠公からの覚えも良かった。
秀忠公の信頼を勝ち取る決定打はな、長四郎坊やが竹千代君の御命令で御城(江戸城)の庇にあった雀の巣から雛を取ろうとしたときのことよ。
長四郎坊やは誤って庭に落っこっちまってな。大騒ぎになった。大騒ぎになったモンだから、秀忠公は「長四郎、誰に頼まれた!」ってお怒りになった。
長四郎坊やは竹千代君に迷惑かけちゃいけねえってな、「誰の命でもございませぬ。長四郎の一存でございます」って言い張った。
秀忠公は「そんなはずは無え」って長四郎坊やを折檻する。それでも、長四郎坊やは口を割らなかった。
秀忠公は感心してな。「竹千代を補佐する者は、長四郎をおいて他にはおらぬ」って褒めたのよ。
その通りになったのが島原の乱でな。
あの時は1万人単位で切支丹を撫で斬りにしたんだが、こんな役目、家光公にしてみりゃあ心底信用出来るヤツにしかやらせらんねえ役目だ。それを伊豆の旦那は見事片付けた。
それでだ、麻由坊。家光公はな、島原の乱を見事鎮めたってえんで伊豆の旦那に感状(感謝状)を与えたのよ。
感状に何が書いてあったかって?
それがな麻由坊、伊豆の旦那は死に際に「感状は焼いて灰にして、我が骸に振りかけよ」って言い残してな。だから感状に何が書いてあったかは誰にもわかんねえ。
ただな麻由坊、こいつは伊豆の旦那なりに考えた家光公への気遣いよ。もし、感状の存在が広く知れちまったら、切支丹撫で斬りは家光公の意思ってことになっちまう。麻由坊の時代の言葉で言う「じぇのさいど」をやらせたのが家光公ってことになっちまう。
だから伊豆の旦那は家光公の名前に傷が付かねえように「感状を燃やせ」って言ったのよ。
伊豆の旦那の最期の言葉はな、「幽霊となって君(家光将軍)を守護せん」だった。猛烈な忠誠心だわな。
伊豆の旦那はな、もとが代官の倅ってことで「僻み、やっかみ」には殊のほか気を遣った。人生の大半を気遣い・気配りに費やしたってえ言っても過言じゃねえぜ。だからこそ、代官の倅が武蔵川越7万2千石の首席老中まで出世したのよ。



反本丸はな、味噌漬けが一番イケるのよ。
牛を味噌漬けにするなんざァ、彦根の殿様もよく考えたぜ。
麻由坊、またな。