もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/堀騒動-春日山宗論-

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生姜に味噌付けて齧る。
まあ、こいつはつまみなんだがな。
ねぎを焼いて味噌付けて齧る。
こいつもつまみだ。
味噌ってえのは、便利なヤツだな。



春日山城
あれァな、奈穂子サンが生まれるずっと昔のそのまた昔に破却にされたお城ですぜ?
春日山城って言やあそりゃあ謙信公ですぜ。味噌一舐めで一升ペロリ。ま、からだに悪そうだから奈穂子サンにゃそんな飲み方は勧めねえけどな。
謙信公のあと、弾正大弼様(上杉景勝)が会津に国替えになってな、そンで北之庄(福井)から堀 秀政様が越後一国・春日山45万石で入封なすった。それから秀政様の死後、嫡男の秀治様が相続された。
堀家には堀監物直政様っていう筆頭家老がいた。よく出来たお人でな。監物様がいる間は幕府も堀家には手を出せなかった。
ところが監物様が死ぬと、監物様の嫡男の直清様と弟の直寄様が筆頭家老の座を巡って争い始めた。45万石の家宰だ。そりゃ、眼が眩んでヨダレも出らあな。
そこに、幕府は目ェ付けたってえワケだ。佐渡守様(本多正信)がいかにも親切そうにして直寄様に言うんだ。「そなたの忠義は大御所も上様もよく存じておるゆえ、安心せえ」ってな。佐渡守様は直寄様に「おまえが兄貴とモメるときは、幕府はおまえの味方だ」って吹き込んだのよ。それで直寄様を気を大きくしたんだ。
ちょうどこの頃、春日山藩領内で浄土宗の坊さんと日蓮宗の坊さんの間で揉め事が起きてな。このとき、直清様は「春日山藩執政の権限で宗論を開く」ってやった。宗論ってえのはどっちの宗派が正しいか論じさせることでな。
ここで、騒ぎが起きた。
どうも、浄土宗の坊さんが宗論で直清様に無礼な口をきいたっていうんだ。どんな無礼を口走ったかはオレも弥七もわからねえんだがな。
ま、これがただの坊さんを手討ちにしたって話だったらそれまでなんだがな。斬った坊さんが「お浄土さん」だった。「お浄土さん」は権現様(徳川家)の宗派だ。
「こいつは使える」直寄様はそう思った。そンでこの一件を佐渡守様に御報告よ。もちろん佐渡守様だって「こいつは使える」って思うわな。
「お浄土さん」を斬ったって聴いた権現様は大怒りだ。早速直清様・直寄様の両人を駿府に呼んで御詮議(裁判)よ。
権現様は「直清は“執政として”と宣言してから宗論を開いたそうじゃの?」と問い質した。直清様は言い返せずにそれを認めた。そしたら権現様はな、「ならば、浄土宗の僧を斬ったのも“執政として”であろうのう?」ってたたみかけた。これで直清様も堀家も運命が決まっちまった。
「堀 忠俊、執政に国政を任せきりで国主の器にあらず、越後一国は収公」
春日山藩堀家はたった13年でお取り潰しよ。
そのあと、直寄様は権現様や秀忠公のもとで出世を重ねて終いにゃ越後村上10万石の大大名におなりなすった。
主人潰して10万石。
とても褒められたモンじゃねえな。



弥七がな、味噌ん中ににんにくを刻んで入れるんだがな。こいつがまたイケるのよ。
熱燗より冷やのほうが合うんだがな。
奈穂子サン、また。