もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/生類憐れみの令-鰻の目打ちと野良犬の血-

イメージ 1

天麩羅は江戸じゃ流行らなかったな。
何せ権現様は鯛の天麩羅食って当たっちまったからな。「縁起でも無え」ってな。
ま、その代わりと言っちゃアレだが、江戸は上方に比べて寿司が流行った。



ちょいとこないだは話が逸れちまったからな。
今日こそは鰻の話だ。
「生類憐れみの令」も最初は魚は除外してたんだ、奈穂子サン。
鰻以外にも江戸には泥鰌食うヤツがいたからな。
それでも最後はやっぱり食えなくされた。
で、ここからが綱吉公の手の込んだところでな。綱吉公は幕府の役人を使って「鰻屋の子供は祟りで盲目になるぞ」ってデマカセ言い触らした。
奈穂子サンも知っての通り、鰻はさばく前に「目打ち」ってえのをやる。
この「目打ち」をやるもんだから、鰻の祟りで鰻屋の子供はみんな盲目になるって噂をばらまいた。いい加減なこと言い触らしやがって。
これで江戸じゃ鰻が流行らなくなった。で、あとは綱吉公の思う壺だ。みんな野菜ばっかし食うようになった。
綱吉公が死んだあと、鰻はまた流行り出した。「土用の丑」なんてオレたちの時代に生まれたんだぜ。
タレは奈穂子サンの時代のタレに比べるとちょいと辛口でな。甘口のタレはメシの上に蒲焼きを乗っける店がやり始めた。
ま、綱吉公にゃ悪いんだが、オレたち江戸っ子はやっぱり鰻はやめらんねえんだ。
もうちょっと喋っていいってんで、何で綱吉公が犬を特に庇ったかを話すか。
やくざ者が親分子分・兄弟分の盃を交わすとき、犬の血を飲んだんだ。
綱吉公が将軍になりたての頃、江戸にはやくざ者がはびこっていて町人たちに迷惑かけてたんだ。
綱吉公はそれを知っていなすったから、やくざ者の盃の儀式に犬の血を使えねえようにって犬を特に庇った。単にお世継ぎの「おまじない」だけじゃねえんだよ。
ある程度はな、効果があったんだ。やくざ者は明らかに減った。ところが今度は野良犬が偉くなっちまった。
野良犬の野郎は人様に噛みつくわ所構わずしょんべん垂れるわでそりゃあ大変だった。
やくざ者の次は野良犬。
でもまあ、野良犬は盗みも殺しもやらねえからな。しょんべんくらいは大目に見てやらねえとな。



蒲焼きに辛口の冷やをキュッとやるのが楽しみなんだ。
奈穂子サン、また。