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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(1)-3/田口八重子さん

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本間 勝(田口八重子さんの兄)

■テロ集団を支える活動を阻止する新法を作れ

皆さん今日はこんなにたくさんお集まりいただき、ありがとうございます。
本日の決議案の中で、「立法府は、北朝鮮のようなテロ集団を支える活動を我が国内で行うことを阻止する新法を作れ」とあります。今の金正恩キム・ジョンウン)との交渉の難しさを非常に感じるわけです。
先般、金正日キム・ジョンイル)が亡くなった時、そして金正恩が出てきた時、少しはましな交渉が見えるかなと、解決の先が見えるかなと思ったのは皆さんも私も同じだと思います。彼はスイスに留学して、民主主義とか世界を見てきたはずなんですから。
ところがどっこい、そんなことは考えられないのが現実です。金正恩は暴君の姿勢を益々鮮明化している。自分の体制のためには叔父も側近も公開処刑するというような状況ですから、この相手から我が国の全拉致被害者を取り戻さなければなりません。
我が国には北朝鮮の指示を受けて動く組織があるわけです。皆さんご存知の通りです。私の妹・八重子は、朝鮮総連の大幹部の指示で、東京の池袋から失踪させられたわけです。
この失踪の究明のために警察が当然動きました。そして家宅捜索寸前までいって、それが拉致解明にもつながるはずだったんですが、政治的に動く人がいて、家宅捜索は中止になりました。こういうことが現実にあるんです。だからこういう組織は潰さないと、我が国の安泰は計れない、これからも起きるということだと思います。
拉致を実行した工作員とその工作員を支援した人たちがいます。支援者がいなければ、いきなり日本に不法入国した工作員が拉致し、国外に運び出すことはできないわけです。
工作員を匿って生活させる、拉致した人を隠す、こういうことを支援する人がいたから拉致できたわけです。今でも日本人を拉致して、戸籍を背乗りして、日本人になりすまして、何食わぬ顔で生活している人がいるわけです。
こういう人を見つけ出して逮捕すべきですが、こういう人が逮捕されたとは聞いていません。誰一人もいません。こういう実態が拉致問題を長引かせているんです。私は第3項で、テロ集団を支える組織の解体までいけば、拉致の解決にもつながると思います。
もう一つは、金正恩国際刑事裁判所(ICC)に訴追することです。人道問題でこれだけの罪を犯しているわけですから、裁かれるべきです。国連がこういうことをビシビシやってほしい。過去にもこういう独裁者がいましたよね。そして処刑されています。そこにつなげれば金正恩が恐れると思います。そしてこれが日本人の解放につながると思います。私はそうなればいいなと思っています。
ありがとうございました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.