もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(2)/安倍晋三編

イメージ 1

安倍晋三内閣総理大臣拉致問題対策本部長)

■これ以上いたずらに時間を費やすことは、歴史的責務の放棄であり、何ら利益
とならない

国民大集会の開催に当たり、一言、御挨拶申し上げます。
14年前の今日、平壌で日・朝首脳会談が行われ、金正日キム・ジョンイル)国防委員長(当時)が公式に拉致を認めました。
首脳会談の後、両首脳が署名した『日朝平壌宣言』では、『日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなる』との認識が共有されています。
しかしながら、北朝鮮は、今日に至っても、なお、国際社会の呼びかけに応じず、本年に入ってからも2回の核実験を強行し、21発の弾道ミサイルを発射するという挑発行動を繰り返しています。この北朝鮮の暴挙に対し、国際社会が一致して、断固たる対応をとることが求められております。
拉致問題に至っては、無事祖国への帰還を果たせたのは、北朝鮮に囚われた被害者の内、わずか5名の方と、その御家族の方々のみに過ぎません。未だ多くの同胞が、北朝鮮に残され、救出を待ち侘び、お年を召されたご家族が愛する肉親との再会を切望しています。
こうした厳然たる事実に向き合う時、私は、拉致問題の解決に当初から取り組んで来た政治家の一人として、また、日・朝首脳会談に官房副長官として同席した者として、痛恨の極みであります。
我が国は、日朝平壌宣言の精神を一貫して堅持しています。北朝鮮には、拉致、核、ミサイルといった諸懸案の解決に誠実に取り組むことを改めて強く求めます。
拉致問題安倍内閣の最重要課題です。拉致問題の解決なくして日・朝関係の改善はありません。そして、全ての拉致被害者の帰国や真相究明等がなされない限り、拉致問題が解決したとは決して言えないことを、改めて強調したいと思います。『拉致問題安倍内閣で解決する』との立場にいささかの変わりもありません。
政府は、拉致問題の解決に向け、『対話と圧力』、『行動対行動』の原則の下、アメリカ、韓国を始め、中国、ロシア等の関係国や国連との緊密な連携を図りつつ、全力を尽くして参ります。
北朝鮮の指導部には、日朝平壌宣言の精神に今一度立ち返り、これ以上いたずらに時間を費やすことは、歴史的責務の放棄であり、何ら利益とならないばかりか、日・朝関係に拭い難い禍根を残してしまうことに思いを致し、対話を通じ、拉致問題の早期解決を実現するよう強く求めてまいります。
被害者の方々とご家族の皆様が抱き合う日が訪れるまで、私の使命は終わりません。我々は、常に、拉致被害者、そしてご家族の皆様と、共にあります。
この集会に先立ち、先ほど、ご家族の皆様と懇談する機会をいただきました。
ご家族の皆様からは、何ら進展のないまま歳を重ねていく現状への強い憤りと、一刻も早く肉親に会いたいという切実な思いを改めてお伺いをいたしました。
一刻も早く、被害者をご家族の下に取り戻すべく、引き続き全力を尽くしてまいります。
繰り返しになりますが、北朝鮮にしっかりと国際社会と共に圧力をかけていく。
そして、現在の北朝鮮の政権が、今の政策を変えない限り、北朝鮮の未来を切り開いていくことはできない、そう認識させ、そののちに交渉によって解決するしか道はないわけであります。我々はしっかりと一致結束をしながら、交渉に臨むべく、まずはしっかりと国際社会と手を携えて、圧力をかけていかなければならないと、こう考えております。
明日から私も国連総会出席のためにニューヨークに参りますが(この集会は9月17日)、国連の場においても拉致問題の解決の必要性をしっかりと訴えていきながら、国際社会の連携を強めていきたい、こう考えている次第でございます。
大切なことは、国民の声を一つにまとめながら、北朝鮮に『拉致問題を解決せよ。』、『日本人を日本に戻せ。』との声を強くしていくことではないか、このように思う次第でございます。私もその先頭に立って戦い抜いていく決意でございます。
一日も早い拉致問題の解決に向けて、全力を尽くしていくことをお誓い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.