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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(4)/加藤勝信編

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加藤勝信拉致問題担当大臣

■被害者の帰国を望む日本国民の総意は何があっても変わるものではない

引き続き拉致問題担当大臣を拝命しております加藤勝信です。
本日は、家族会、救う会拉致議連、知事の会、そして地方議会全国協議会の皆さん方が主催して大集会を開催していただき、また日頃から拉致問題に高い関心とこの問題の解決のためにご努力をしていただいている多くの皆様方にこうして足を運んでいただきましたことを、担当大臣として改めて御礼申し上げます。
今までお話がありましたように、日・朝首脳会談から14年、そして久米 裕さんが拉致されてから39年の年月が経っています。そして北朝鮮は、一昨年7月に、「すべての日本人に関する調査を行う」と特別調査委員会を設置し、調査をするということでしたが、残念ながら今日まで一人の拉致被害者も実現できず、また帰国に向けての具体的な道筋を作れなかったことは本当に遺憾であります。家族会のご関係の皆様にも本当に申し訳なく思っています。
北朝鮮で過酷な状況に置かれ、未だ帰国を果たせない被害者の方々、そして帰国を切なる思いで待ち続けているご家族の方々にとって、あまりにも長い年月が経っています。そしてこの間にいかに苦しみがあり、悲しみがあり、そういうことに思いを致す時に、私も申しあげる言葉もありません。
私も拉致問題の担当大臣として、もはや一刻の猶予も許されないと、切実なる切迫感と断固たる使命をもって、すべての拉致被害者の方々の一日も早い帰国の実現をはかるという決意で、新たに取り組んでいきます。
そして同時に、先ほど総理からもありましたが、北朝鮮の指導部に対しては、「拉致問題の解決なくして北朝鮮は未来を描くことができない」という安倍総理の言葉の真意について、しっかりと理解し、一日も早くすべての拉致被害者の帰国を実現させるよう、強く求めます。
先ほど安倍総理が述べられた通り、わが国は一貫して、日朝平壌宣言の精神を堅持しています。特に拉致問題は安倍政権の最重要問題と位置づけ、「拉致問題の解決なくして日・朝関係の改善はない」と。
また北朝鮮は、ご家族や関係者を離間させたり、あるいは虚偽の情報を流すことによって拉致問題の風化をはかる、こうしたいかなる策動も一切通用しないということ、そしてすべての被害者の帰国を望む日本国民の総意は何があっても変わるものではないことを理解すべきです。
これまでも安否不明の被害者について、私たちも情報収集や分析活動を進めてきております。「死亡」、「未入境」というこれまでの北朝鮮側の説明は、一切受け入れるわけにはいきません。
北朝鮮がそうした説明を繰り返すのであれば、いたずらに時間が経過するだけで、北朝鮮にいかなる利益ももたらすものではないのです。北朝鮮はもはや被害者を隠蔽して問題の収束を図るのではなく、真相を明らかにするとともに、すべての被害者を直ちに帰国させるよう強く求めます。
逆にわが国としては、「対話と圧力」、「行動対行動」の原則に従って、拉致被害者の一日も早い帰国の実現に向け、あらゆる政策を講じていく。こういう決意をもって当たってまいります。
北朝鮮は、国際社会の声に耳を傾けることなく孤立化の道を進むのか、また拉致・核・ミサイルといった諸懸案の解決に誠実に対応して平和と繁栄の道を歩むのか、判断を迫っていきます。
本日、安倍総理とともにご家族の皆さんと懇談をさせていただきました。お伺いしたご家族の思いをしっかりと胸に刻み、また遠く北朝鮮の地で救出を待ち続けている被害者の方々の心情や健康状態に思いをはせ、一刻も早く、認定の有無に関わらずすべての拉致被害者を取り戻すべく、総理と共に全力で取り組んでまいります。
本日のこの集会において、拉致問題の解決に向け国民の熱い思いを一致団結して示していただきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします。

【西岡 力(補足)】
第一次安倍政権の時に拉致問題対策本部ができ、担当大臣が置かれてから10年になります。
その中で、第一次安倍政権と第二次安倍政権が約半分です。
全体で40年の中で最後の10年は対策本部とともに歩んできた。ここで勝てなかったらどうするんだと思っています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.