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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(5)/山谷えり子編

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山谷えり子自民党拉致問題対策本部長、元拉致問題担当大臣

■日本人が一つになって、今だからこそ拉致問題の解決を

本日は皆様方、激しい怒り、寂しさ、そして断固解決するとの強い思いを持ってこのようにお集まりいただき誠にありがとうございます。
北朝鮮で一日も早い救出、帰国を待っておられる被害者の皆様の心身の状態を思うと、本当に胸が痛みます。未だに解決できていないというのは、痛恨の極みです。
北朝鮮の脅威が新たな段階に入ったと考えています。ミサイル発射は本年21発目です。そしてEEZ排他的経済水域)に落下する。あるいは5回目の核実験。
国際社会、国連の北朝鮮への視線は厳しくなっています。
拉致問題に関して、北朝鮮は特別調査委員会を本年2月に、一方的に解体するという、本当に時間稼ぎと嘘の不誠実な態度です。断じて許すわけにはいきません。
第二次、第三次安倍内閣になり、総理はありとあらゆる方面から、この拉致問題解決に向けて働きかけています。国連でも、EUとともに、北朝鮮拉致問題等人権問題を調査する委員会を立ち上げ、そして400ページ近い報告書が出て、とんでもないことだと金正恩キム・ジョンウン)党委員長を国際刑事裁判所(ICC)に訴追することを検討せよ、というを含めての総会決議を圧倒的多数で可決しました。
そして調査と問題解決への歩みを進めるために、国連はソウルに現地事務所を作りました。そして今回また、核実験やミサイル発射の暴走を繰り返しています。
これから国連では、安全保障理事会で制裁決議について議論がなされると思いますが、その中に必ず理由として拉致・人権侵害ということをしっかりと明記するように求めていきたいと思っています。
昨日、自由民主党の拉致対策本部と外交部会で、さらなる拉致問題解決のために対北朝鮮制裁について議論しました。そしてとりまとめを行い、夕方に官邸で総理にお会いし、色々な考え方、具体的な項目について説明しながら意見交換をしました。
例えば国連で、制裁決議が出るならば、必ず拉致問題も明記するように外交で働きかけてほしいこと、そして金正恩党委員長について「国際刑事裁判所に訴追を検討」ではなく、訴追するというところまで働きかけを強めていくこと。
あるいは、アメリカにおいてはデイヴィド・スネドン(David Sneddon)という拉致疑惑のある青年がいます。これについてアメリカの上下両院に今決議案が出ています。それを早く採択するように働きかけを強めること。国際社会や国連に向けての働きかけを、議員外交、政府の外交をしっかり進めてほしいことを申し入れました。
アメリカのテロ支援国再指定も、家族会・救う会の皆様と何度も渡米しましたが、国連に向けてもさらに働きかけを強めていきたいと思います。
そして昨年、自民党の拉致対策本部が、古屋圭司前本部長の時にまとめていただき、私も拉致担当大臣として受け止めておりますが、13項目の様々な具体的な制裁項目があります。
それを昨日、改めて再検討しました。人の往来のさらなる制限強化、物の流れ・金の流れのさらなる制限強化、あるいは北朝鮮に向け短波放送で被害者への励ましのメッセージ等様々放送していますが、加えて北朝鮮の人々に対しても北朝鮮の国家のあり方が如何におかしいものであるか、国際社会は北朝鮮をどう見ているのか、自由と民主主義の価値も含めて放送の充実、内容の再検討も申入れをしました。
あらゆることをやって、北朝鮮への目が厳しくなっている国際社会にあって、日本は拉致問題の解決、これは命には限りがあります。一日も早く帰国していただくことで家族との素晴らしい時間をもう一度取り戻さなければならない。
時間との戦いです。安倍内閣拉致問題を最重要・最優先課題として結果を出すように取り組んでいくこと、これを皆様とともに成し遂げていきたいと思います。
一つの心になること。政府、与野党一体になって、拉致議連、地方議連、全国の知事の会、そして会場の皆様。街頭演説をしますと、多くの皆様が私のところに来て、「頼むよ」、「絶対解決しようよ」と言ってくださいます。
オールジャパン、日本人が一つになって、今だからこそ拉致問題の解決に向けて強く歩を進める。その戦略を練り上げる時だと思います。これからも皆様方と共に歩み、結果を出したい。一日も早い帰国、救出に向けて頑張り抜きます。
本日はどうもありがとうございました。

【西岡 力(補足)】
スネドンさんの件について、最近アメリカの主要な新聞・テレビが報道しました。そして、アメリカの人権NGOが、アメリカの議員を回って決議を通すように動いています。アメリカの中に救う会のような活動が始まりました。
全被害者を取り戻すという点で、我々にとって大きな援軍になりえると思っています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.