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【みんな生きている】日比谷公会堂(4)/山谷えり子編

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山谷えり子拉致問題担当大臣国家公安委員長


■拉致は許さない。すべての被害者を帰国させよ

激しい怒り、そして救出への強い思いを込めてお集まりいただきありがとうございます。すべての被害者の救出、帰国、一日も早く全力で、あらゆる手段を講じて結果を出していきたいと思います。
長きに渡って閉ざされていた日・朝協議の重い扉が開きました。そして特別調査委員会が立ちあがって1年以上。未だに帰国に向けての誠実な報告が北朝鮮からなされていない。誠に遺憾であります。
拉致は北朝鮮の国家犯罪です。わが国への主権侵害です。そして家族の時間を引き裂く。それぞれの希望ある人生、その未来をふさぐ残酷な人権問題、人道問題です。何としても、国家として解決しなければならない問題です。
国際社会、国連の場では、かつてないほどこの北朝鮮の人権問題、拉致問題を解決せよとの声が高まってきています。国連の人権理事会に、様々な調査をする委員会が立ちあがり、400ページ近い北朝鮮の人権問題と拉致問題のひどい状況が報告されました。
多くの関係者がそれを読んで、これは何としても解決しなければということで、昨年の12月には責任者を国際刑事裁判所(ICC)に付託を含む、かつてない強い文言の決議が、賛成国116、反対国20で採決されました。そして6月には、それを具体化していくための現地事務所がソウルに開設されました。
今年の5月には、日本政府主催でニューヨークで、国連を背景にこの拉致問題の残酷さ、そして解決を求めるパネルディスカッションを開きました。家族会の代表として、横田拓也さんが出席され、「横田家から笑いが消えた」こと、そして多くの国から人々が奪われた状況を訴えられました。
救う会の西岡会長や特定失踪者問題調査会の荒木代表にも出席していただきました。9月下旬にもまた、国連人権理事会でのパネルディスカッション関連行事があります。家族会から横田拓也さん、飯塚耕一郎さんが出席され、強く、強く訴えてくれると考えています。
全国各地で集会が開かれています。ご家族の皆様が高齢化され、体力の問題があります。またスケジュールがたくさんあって、ご家族の皆様の心の叫びのビデオメッセージを作りました。政府のインターネットテレビ拉致問題対策本部のホームページからも見ることができます。
どのような家庭で暖かく育ったか、どのような故郷で育ったか。それが断ち切られている現状の残酷さ。是非皆様に見ていただきたいと思います。英語版も作って世界に訴えます。ホームページにアクセスしていただいて、この問題を皆様に大きく、広く伝えていただきたいと思います。
「許せない」というこの声が、世論が、そしてすべての国民が心を一つにしての激しい怒りの声が北朝鮮拉致問題解決の大きな一歩となります。そういう意味で、今日の集会は大切な集会です。
「拉致は許さない。すべての被害者を帰国させよ」。そして安倍内閣の最重要、最優先課題であり、安倍内閣でしか解決できないと私は思っています。この拉致問題の解決、全力で取り組みます。どうぞ宜しくお願いいたします。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.