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【みんな生きている】日比谷公会堂(5)/古屋圭司編

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古屋圭司自民党拉致問題対策本部長)


■融和策から生れるものはない、制裁強化を

今年もこうやって皆さんの前でお話をしなくてはいけない。
本当に悔しいです。
申し訳ない限りです。
家族の皆さんのことを思うと、なおさらその気持ちが湧いてきます。
私は今、自民党拉致問題対策本部長並びに議連の会長代行を務めていますが、我々は今年6月25日に、これは昨年7月4日に一部制裁を緩和して協議が始まった日の10日前に当たりますが、シュミレーションチームを作って、もし今後もこの状況が続くならば絶対に許すわけにはいかないと、13項目に及ぶ制裁強化の案を作りました。10数回の議論をし、関係者にヒアリングもして作りました。
例えば、昨年緩和した制裁は元に戻す、これは当然です。また再入国禁止措置を中央員会委員にまで広げること、またミサイル等の技術者が再入国できないようにすること、あるいは北朝鮮に寄港した船舶はすべて厳格な検査を行うことを決めました。
さらには、人道目的の10万円以上の送金を除き一切の送金を禁止すること。
これは今送金はされていませんが、迂回送金が行われていますから、世界各国と情報を共有してその阻止をはかること。あるいは朝鮮総連に対して、さらなる厳格な法執行を行うこと、そして外交戦略の一環として例えばアメリカに対して、
テロ支援国の再指定を強く要請すること等です。そして総理に提言しました。
私たちはこう考えています。総理は、「融和策から生れるものはない」と。ですから私たちは総理に、拉致問題解決に向けてのツール、武器を提供させていただきました。これを総理がどうやって解決のために使うか。拉致問題を解決しない限り北朝鮮は未来を描くことはできない。そのためにどうするか。私は総理の判断にかかっていると思います。
それ以外にも例えば、7月22日に緊急集会をやりましたが、その時に、現在大詰めを迎えている安保法制問題。これが衆議院ではほとんど議論がなかったではないかという厳しい批判もいただきました。
確かにほとんど与党側は質問していないという事情はあったにせよ、参議院では、今日参加の塚田一郎議員は平和安全法制特別委員会の理事もやっていますが、テレビ中継の質疑の時に、総理に直接、拉致問題について述べました。
万一北朝鮮が崩壊あるいは混乱した時に、日本人そして拉致被害者を救出するためにどうするのかと質問し、総理が明確に答えました。「アメリカ側とも緊密な連携をとって協力要請をしている」とテレビの前ではっきり述べました。ということは、ありとあらゆることを想定しながら、政府が取り組んでいる証だと思います。
それ以外にも我々は、対策本部として議員外交の一環として春先にアメリカの上下両院議員に精力的に会いました。何を要請したか。それは上下両院で拉致問題について決議をしてほしいということです。国連でもこの問題がしっかりと取り上げられたことは山谷大臣がおっしゃった通りです。だからこそ、上下両院でもやってほしい、と。
駐米大使館の担当公使を付けて、今協議をしています。文案も少しずつ出来上がりつつあります。確実に前に進んでいます。我々は国会が閉幕したら早速行ってこようと思っています。
これもすべて、あの捕われの身になっている日本人拉致被害者を取り戻すこと、これが唯一の目的です。私たちも、政府・党が一体となって、これからも取り組みを強化していきたいと思っています。
そして何と言っても世論というのが非常に効くんです。北朝鮮に世論は存在しません。金正恩キム・ジョンウン)が決めたらすべて物事が決まってしまう。私たちには世論の後押しが必要です。
私が拉致問題担当大臣の時、拉致問題対策本部に短波放送を行えるようにして定期的に放送しています。皆さんも申請をしていただいて、怒りの声を北朝鮮に向けて出していただきたい。被害者に向けてもいい、あるいは北朝鮮の国民に向けてもいい。朝鮮語で言ってほしい。それを必ず流すことを大臣、宜しくお願いいたします。
宜しいですね。
では宜しくお願いいたします。みなさんこうやって声を上げましょう。
あの北朝鮮と韓国が一時ガタガタしたのはなぜか。あれは韓国側が30kmか40km届くマイクで、北朝鮮に対してガンガンやったことが効いているんです。こういうものは効くんです。ですから、一人ひとりがやれることです。是非皆さんにやっていただきたい。我々もしっかり応援します。また大臣が今了承されましたように、しっかり短波放送にも取り組んでいきたい。
いずれにしても、総理のあの強い決断によって拉致の協議はドアが開きました。しかし、これからが胸突き八丁です。私も去年申し上げた通り、本当にそういう状況ですが、私たちは拉致問題の一括解決へのプロセスが確実に前進していくように、政府と連携して、自由民主党拉致対策本部としてもあらゆる手段を尽くして頑張りたいと思います。
是非とも皆様のご支援を心からお願いします。
ありがとうございます。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.