もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】星陵会館編/KBC

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致被害者家族が星陵会館で集会》

拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表(77歳)は、東京都内で開かれた緊急集会で「早く効果を出す対応をしてほしい」と政府に求めました。

「ただ『やってます、やってます』だけで終わる恐れがある。(政府には)効果を出す方策・対応・措置を早くやってもらいたい」
(家族会・飯塚繁雄代表。拉致被害者田口八重子さんの兄)

北朝鮮拉致被害者等の特別調査委員会を設置して1年が過ぎましたが、拉致問題はこう着状態が続いています。
東京都千代田区の星陵会館で行われた緊急集会には、横田めぐみさんの両親や拉致被害者の家族たちも駆け付けました。
横田 滋さん(82歳)は、

「被害者を早く連れて帰らないと家族が亡くなってしまう」

と述べ、政府に早急な取り組みを求めました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)
あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(Tada-aki Hara)
(拉致被害時43歳)
※This person was Abduction by North Korea
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

《特定失踪者・加藤久美子さんについて》
◆氏名:加藤 久美子
(かとうくみこ)
(Kumiko Katou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年8月8日
◆生年月日:昭和23(1948)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:福岡県北九州市八幡東区
◆当時の身分:事務員
◆身長:155cm
◆体重:47kg
◆特徴:首の後ろに水疱瘡の跡8mm
◆特技:電話交換扱い
◆失踪場所:福岡県北九州市八幡区自宅近くの電停

【失踪状況】
妹と一緒に家を出て徒歩10分くらい離れた旧西鉄路面電車の大倉電停で別れたのが最後。その後消息不明。
いつも通りの服装だったので、小倉にある会社へ向かったと思われる。
「週末に編み物の先生とお茶会に行くので着物を出しておいて」という話をしていた。
北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1989~1990年、金正日政治軍事大学横田めぐみさんらと一緒にいた女性に似ている」と証言。
平成16年1月29日、八幡東署に告発状提出。

《特定失踪者・三浦和彦さんについて》
◆氏名:三浦 和彦
(みうらかずひこ)
(Kazuhiko Miura)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月12日
◆生年月日:昭和27(1952)年3月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:福岡県糟屋郡篠栗町
◆当時の身分:福岡市博多区美野島の九州松下電器本社工場勤務
◆身長:156cm
◆特徴:身長は母親(156cmくらい)と同じかもう少し高いくらい
◆失踪場所:福岡県糸島郡志摩町芥屋海岸と推定

【失踪状況】
波多野幸子さんとともに失踪。
1月12日会社に出勤。
三浦さんは退社前に同僚に前原に行くと告げ、波多野さんの残業が終わるのを待ったと思われる。
12日から帰宅せず。
15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。
両人の靴が片方ずつ落ちていた。

《特定失踪者・波多野幸子さんについて》
◆氏名:波多野 幸子
(はたのさちこ)
Sachiko Hatano)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月12日
◆生年月日:昭和30(1955)年2月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の身分:福岡市博多区美野島の九州松下電器本社工場勤務
◆身長:150cmくらい
◆失踪場所:福岡県糸島郡志摩町芥屋海岸と推定

【失踪状況】
三浦和彦さんとともに失踪。
1月12日会社にいつもどおり出勤。
12日から帰宅せず。
15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。
両人の靴が片方ずつ落ちていた。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.