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【みんな生きている】調査報告延期編[松本京子さん・松木 薫さん]/NHK[全国]

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致報告延期に被害者家族から失望の声》

【7月3日17時27分】
北朝鮮拉致被害者等の調査委員会を設置して7月4日で1年になるのを前に調査結果の報告の延期を伝えてきたことについて、拉致被害者の家族たちからは、失望の声や肉親の帰国実現に重点を置いた政府の取り組みを強く求める声が上がっています。
拉致被害者の家族は、この1年、調査結果を待つという緊張感を常に抱えながら過ごしてきました。肉親の命に関わる問題であることはもちろん、高齢となり残された時間が決して多くない家族にとって拉致問題を巡る一つ一つの動きが持つ重みが増していることも背景にあります。被害者自身も年を重ねていて、政府が認定している拉致被害者12人の平均年齢はすでに65歳を超えています。
今回の再調査にあたり、被害者の家族は、金正恩キム・ジョンウン)政権が「死亡」や「入国していない」という過去の説明を覆し、被害者を帰す決断をするのかを最大の焦点と位置づけています。しかし、帰国につながる進展がないまま時間が過ぎていく現状に、生存者の存在が隠されたまま幕引きが図られるのではないかという警戒感も強まっています。
このため被害者の家族は、「求めているのは紙の報告書を受け取ることではなく、被害者の帰国そのものだ」と、この間繰り返し訴え、すべての被害者の帰国の実現に重点を置いた取り組みを政府に求め続けています。


松本京子さんのご家族の反応

調査結果の報告の延期について、鳥取県米子市拉致被害者松本京子さんの兄の孟さんは

「亡くなった母親に妹の元気な姿を見せたいと思って、この1年待ち続けてきましたが、今回もだめだったという思いで、残念としか言いようがありません」

と話しました。
そのうえで、

「期待をしても裏切られるというのは交渉の中では仕方のないことだとは思いますが、政府には拉致問題解決のため頑張ってもらうしかない」

と話していました。


松木 薫さんのご家族の反応

熊本市出身の拉致被害者松木 薫さんの姉の斉藤文代さんは

「被害者家族にとっては長い長い1年を待った。北朝鮮は『調査を誠実に行っている』と言うのであれば、なぜ調査が終わらないのか、いつ家族は会えるのか、きちんと示してもらいたい」

と話しました。
そのうえで、

「この1年間で、本当に弟と会えるだろうかと考えるようになってしまった。家族は年をとって、待てる時間は少なくなっています。私たちの願いは家族の帰国、それだけです」

と話しました。


北朝鮮の説明に矛盾や不自然な点

政府が認定している拉致被害者のうち、安否が分からない12人に関するこれまでの北朝鮮の説明には矛盾や不自然な点がありました。
北朝鮮は2002年の日・朝首脳会談で拉致を認めて以降、8人の被害者について、「死亡した」とする説明を繰り返してきました。
しかし、死亡を証明する書類が存在しなかった他、「横田めぐみさんや松木 薫さんのものだ」として出してきた遺骨から別人のDNAが検出される等、説明を裏付ける客観的な証拠は全く示されていません。また、「ガス中毒」や「心臓麻痺」等、8人が死亡に至った状況に関する説明にも不自然で曖昧な点がありました。
さらに、大韓航空機(KAL機)爆破事件の実行犯で北朝鮮工作員だった金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚に田口八重子さんが日本語を教えていた事実や、よど号ハイジャック事件のメンバーと妻が一部の日本人拉致に関わっていたこと等、帰国した拉致被害者の証言や警察の捜査で判明していることと食い違う点も多く、政府は、これまでの説明は「信ぴょう性が疑わしい」と判断しています。
この他、北朝鮮が入国そのものを否定したり未確認だとしている4人のケースについても、警察の捜査で拉致への北朝鮮の関与が明らかになっていて、今回の再調査で北朝鮮が過去の説明を覆し、被害者の帰国に結びつくかどうかが大きな焦点となっています。



◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(拉致被害時29歳)
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。