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【みんな生きている】日比谷公会堂(5)/古屋圭司編

古屋圭司自民党拉致問題対策本部長。前拉致問題担当大臣


アメリカの上下両院で拉致問題の決議をしてほしいと要請

みなさん、今日もありがとうございます。
拉致被害者を戻さなければ北朝鮮の未来はない。これを分からせると、総理も今改めて言明されました。私たち政府、拉致議連、家族会、そしてそれぞれの政党は、同じ意志で同じ方向に向かって取り組んでいます。それを総理はみごとに表現されました。
今、総理、山谷大臣からそれぞれ報告がありましたが、私は自民党拉致問題対策本部長として、今取り組んでいること、最近取り組んだことをご紹介したいと思います。

[スネドンさん拉致事件アメリカ議員に協力要請]
まず、3月24~26日まで、私と塚田一郎事務局長、そして救う会島田洋一教授(副会長)がアメリカに出張しました。目的は、上下両院の国会議員に会って、以下の取り組みを要請したことです。
ご承知のように、2004年に、アメリカ人のデヴィッド・スネドン(David Sneddon)さんという人が、中国の雲南省で拉致された疑いが極めて高い。状況証拠は揃っています。
私も、拉致問題担当大臣だった時からずっと、アメリカの国務省に、「これを認めるべきだ」と働きかけてきましたが、非常に腰が引けているのが現実です。
思い起こせば日本も、拉致問題がニュース等で明るみに出た後、政府は、反省を込めて言うと、残念ながら認知が遅れました。遅れたことが解決を遅らせている原因になっていることは間違いないと思います。
アメリカは、上下両院ともに共和党が優勢で、その影響力は今まで以上に民主党オバマ政権に対してあります。だからこそ、共和党の有力議員に精力的に会ってきました。
デヴィッド・スネドンさんはユタ州出身なので、ユタ州出身の議員に会ってきました。中でもマイク・リー(Mike Lee)議員は最近非常に名前が売れている上院議員です。その他4名に会ってきました。
それは、アメリカの上下両院で拉致問題の決議をしてほしいということ、そしてデヴィッド・スネドンさんの問題をしっかり入れてほしいということです。もう一つ、国連でも100人以上の拉致がCOIで正式に認められましたので、日本人の拉致問題もしっかり入れてほしいということです。
マイク・リー上院議員は、「古屋さんのアイデアは非常にいい。その背景にはこういうことがある」といいました。そして、昨年11月末にジョン・ケリー(John Forbes Kerry)国務長官に対して、10数名の上下両院議員連名でデヴィッド・スネドンさんの問題についての調査をさらに進めろという要請文が出ています。

北朝鮮制裁法案、アメリカ議会を通過]
今年2月28日には、下院で、北朝鮮に圧力をかける制裁法案が通過しました。
だからこそ今、この問題をしっかり上下両院の共和党議員から圧力をかけることは極めて効果があります。ややもすると内政干渉かもしれませんが、我々は議員外交という立場でお互いに胸襟を開いてその話をさせていただきました。
ワシントンDCにある日本大使館の政務担当公使をこの問題の担当として、しっかりと情報交換をしていただくことで取り決めてきました。

[スネドンさんが北朝鮮による拉致なら、米軍出動]
もしアメリカが、デヴィッド・スネドンさんの拉致を認めざるを得ない状況になったらどうなるか。バラク・オバマ(Barack Hussein Obama II)大統領も、ジョージ・ブッシュ(George Walker Bush)大統領も、家族会の横田夫妻や飯塚さんに会っています。「拉致問題に協力する。シンパシーを感じる」と言っていますが、もしアメリカ人が拉致されたということが認めざるをえなくなったらどうなるでしょうか。
アメリカ人の国民性として軍隊を出してでも必ず取り返す。相当な影響が出るはずです。だからこそ、同盟国同士として真の連携ができるようになるんです。
ですから、たった一人のアメリカ人の問題であっても、これは本当に大きな問題だということはみなさんにもご理解いただきたいと思います。だからこそ、これからもこの問題をしっかりとフォローしていきたいと思います。

[「めぐみへの誓い」上演]
2点目。やはり国民の世論の啓発をして、北朝鮮に対して怒りを爆発させることが必要です。3月27日に、党本部の大ホールで、「めぐみへの誓い-奪還」という舞台劇を行いました。夜想会という六本木の俳優座で演劇をしているグループにお願いして、昼と夜2回公演をしてもらいました。両方とも、あっと言う間に超満員となりました。
この芝居は、北朝鮮に捕われの身でいる被害者の皆様が、塗炭の苦しみを味わいながらも、絶対にあきらめることなく祖国日本の土を踏む日を待っているというものです。会場から出てきた皆さんは、本当に涙を出しながら、ハンカチで目頭を押さえておられました。そして怒りを感じていました。
こういった取り組みは、かつて私が大臣の時に4回公演しましたが、今後とも、色々な立場で協力をして是非やっていただきたいと思います。

[制裁強化に向けて]
3つ目。昨年4月、「8人死亡、4人未入境」という過去の経緯はあるものの、再調査をすることに。茶番と言えば茶番です。だけどそこまで彼らは認めざるを得なくなった。ドアをこじあけた。しかし、ここからが胸突き八丁の協議だと私も記者の方に言いました。今そういう状況です。
4月になるともう1年ですよ。今の状況で1年を迎えることは絶対に許すわけにはいきません。だからこそ、自民党拉致問題対策本部では、制裁強化について連休明けに早速議論し、速やかにまとめて政府に提案したいと思っています。塚田一郎議員にその座長として取り組んでいただくこととしています。
私たちは、政府、拉致議連、家族会、そして各政党が一致結束をして、徹底的な圧力をかけることによって対話を引き出して、私たちが、家族が納得できる拉致問題の解決に向けて確実に動くように全力を尽くしたいと思います。
遺骨問題や日本人妻の問題が前進したからといって、拉致問題が解決しない限り、私たちは一切制裁解除を認めるわけにはいかない。拉致問題解決に全力で頑張ることをお約束してご報告とさせていただきます。
ありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.