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名古屋城

【2013年1月29日】

坂崎 福という女性について書く。

この女性は尾張藩3代藩主・徳川綱誠の側室で、4代藩主・徳川吉通の生母だ。
尾張徳川家では下総の方と呼ばれ、綱誠死去後に本寿院と呼ばれるようになった。

あまり、素行のよろしくない女性だった。
酒癖が悪いだとかカネに汚いだとか、そういった類の話では無い。
福は



色情狂



だった。

福は綱誠との間に吉通をもうけたが、綱誠だけでは飽き足らず、いろんな男と肉体関係を持った。
性欲が通常の女性よりもかなり強力だったのだろう。
当時の記録には



性欲をこらえきれず、庭の木にまたがり性器をこすりつけた



などというどぎついものが残っている。

これを「尾張藩を貶めるためのデマカセ」と言う人もいるが、果たしてそうだろうか?

綱誠は自身が死去する2年前、側室たちへの遺産分配の遺言書を書いている。
綱誠は生前22男18女をもうけている。当然、たくさんの側室がいた。
その遺言書の記載に、福が「そういう女性だったのではないか」と思わせる部分がある。

吉通の弟・通顕(のちの徳川継友)の生母・和泉へは生涯20人扶持、綱誠死後は金150両
吉通の弟・通温の生母・唐橋へは生涯20人扶持、綱誠死後は金150両
吉通の弟・通春(のちの徳川宗春)の生母・梅津へは生涯20人扶持、綱誠死後は金150両

と記載されているが、福については



下総への遺産分配は「心次第」、江戸にて養う



と記載されている。

綱誠はなぜ、次期藩主の生母への遺産分配を「心次第」としたのだろう?
「心次第」
この漢字3文字に、綱誠の「こっちは全部お見通しなんだぞ」という意味が込められている。
御三家筆頭の家柄として藩主嗣子の生母が色情狂では困るのだ。かと言って、この世から消した場合、それはそれで周囲から不審の眼で見られてしまう。
また、綱誠自身の性格もあっただろう。
福も含めて、側室たちへは愛情を持って接していたため、どんな事情があるにせよ殺害する気になれなかったのだろう。「心次第」の3文字にはそんな気持ちも込められていたのではないか。



しかし、綱誠死後も本寿院となった福の色情狂は治らない。
尾張藩では福を江戸・四ッ谷の藩邸に幽閉した。
さらに藩は福を名古屋へ護送し名古屋城下で謹慎させた。

福は長生きした。
福が死んだのは元文4年。
享年74。
性豪は生命力が強いのだろうか?